こんにちは、木村貴です。新しいブログ「リバタリアン通信」を始めました。 「ラディカルな経済学」の更新はこれで終了します。ありがとうございました。今後はぜひ新ブログをご覧ください。
ケインズ『お金の改革論』(講談社学術文庫)へのアマゾンレビューに、訳者の山形浩生さんよりコメントを頂きました。それに対する反論コメントを投稿しましたので、こちらにも掲載します。訳者ご自身からコメントを頂けるとは光栄です。ありがとうございま…
『保守も知らない靖国神社』(ベスト新書)のアマゾンレビューに対し、著者の小林よしのりさんがニコニコチャンネルのブロマガで反論を書いてくださいました。感謝いたします。以下、それに対する再反論を書きます。小林氏は次のように反論する。 わしは「国…
検索の都合上、タイトルの「經濟學」を新字体に変更しました。また本文についても、電子書籍化の便宜などの都合上、当面、新字新かなで表記します。
本ブログは更新を休止しました。筆者に興味をお持ちの方は、下記をご覽ください。 Amazon カスタマーレビュー Twitter 自由主義者かく語りき――リバタリアンのエッセイ集 (自由叢書)作者: 木村貴出版社/メーカー: 木村 貴発売日: 2013/06/18メディア: Kindle…
個人と國家の關係について、大きく二つの考へがある。個人が目的で國家はその手段とみなす個人主義と、國家が目的で個人はその手段とみなす國家主義である。人間の歴史は、この二つの思想のせめぎ合ひだつたといつてよい。國家主義は人間の古くからの素朴な…
「ラディカルな經濟學」をお讀みいただきありがたうございます。 これまで私はこのブログと竝行し、インターネット以外の場所で發表すべく、長い文章を少しづつ書き溜めてきました。最近執筆が峠にさしかかり、より多くの時間を割きたいとの思ひが強くなりま…
藝術が人間の心に訴へる力は強い。だから政治は藝術を利用したがる。しかし政治と藝術は兩立しない。藝術は精神の自由を必要とし、政治はそれを否定するからである。 大東亞戰爭(アジア太平洋戰爭)中、日本政府は國民の士氣を鼓舞するため、さまざまな藝術…
宗教は人類の歴史とともに文化や倫理の形成に大きな役割を果たしてきた。しかし宗教は、他のさまざまな事柄と同樣、政治と結びつくとき墮落する。とりわけその墮落があらはになるのは、戰爭においてである。戰ふか戰はないかは本來個人の良心に照らして判斷…
景氣が惡いときには、中央銀行が金融緩和を行ひ、政府が財政支出を擴大して、經濟をテコ入れするのが經濟政策の「世界標準」だといはれる。そのとほりだ。しかし世界標準だから正しいとは限らない。現在の世界標準とされるこれらケインズ流の經濟政策は、む…
政府は政治的目的を達するために、しばしば經濟に介入する。しかし政府が介入すればするほど、經濟の働きを歪める。その結果、政府は目的を果たせないばかりか、思はぬ副作用を惹き起こす。それを抑へ込まうと介入を強めれば、さらなる副作用をもたらす惡循…
國家とは人間の形成する集團の一つにすぎない。ところが近代以降、社會における國家の存在が異樣に肥大した。それが最も鮮明になるのは戰爭のときである。戰時には、國家を超える價値觀を信じることが許されず、逆らふ者には賣國奴の罵聲が投げつけられる。…
税金がない、またはほとんどない國や地域であるタックス・ヘイブン(租税避難地)は、日本を含む他國政府から惡のレッテルを貼られ、地球上から抹殺されさうになつてゐる。しかしタックス・ヘイブンは惡ではない。惡いのは重税を課す政府であり、タックス・…
世の中には、戰爭を崇高な行爲と崇める一方で、商賣を俗惡な行爲と蔑む人々がゐる。しかし戰爭の多くは商賣である。それも、顧客が望む品質・價格の商品を自發的に贖入してもらふ、まつたうな商賣ではない。多くの人々の生命を犠牲にしながら、しばしば劣惡…
人間はしばしば、自分の信じる價値觀を他人にも共有してもらひたいと考へる。その手段が言葉による説得であれば問題はない。しかし暴力や脅迫による強制は、間違つた手段である。とりわけ、大勢の人々を卷き込む戰爭といふ究極の暴力によつて特定の價値觀を…
大東亞戰爭で日本陸海軍が行つた體當たりによる自爆攻撃、すなはち特攻は、日本人の誇りであると稱へる者が少なくない。たしかに、國を守るためと信じ、若い命を捧げた隊員たちの態度は心に迫る。ところがその一方で、志願の建前とは裏腹に若者に特攻を命令…
戰爭は「文明の衝突」だといはれることがある。しかしそれは適切な表現ではない。なぜなら文明の本質は平和だからである。暴力を本質とする戰爭は、むしろ「野蠻の衝突」と呼ぶべきである。 米國の政治學者サミュエル・ハンチントンは1996年の著書『文明の衝…
市場に積極的に介入する「大きな政府」は、經濟の繁榮を妨げる。大きな政府の極致である社會主義は、ソビエト聯邦や舊東歐諸國の崩潰後、さすがにほとんど支持されなくなつたが、「ほどほど」の大きな政府である福祉國家(現在の日本、米國、多くの歐州諸國…
シナ(中國)は市場經濟が發展してきたとはいへ社會主義の國であり、米國は市場原理主義が大手を振つて歩く資本主義の國――。これが兩國に對する世間一般のイメージだらう。しかし、もはやさうしたイメージは現實とは異なる。シナこそ堂々たる資本主義國であ…
小さな政府を支持する市場原理主義は國を滅ぼすと、保守革新の言論人はともに主張する。しかしそれは誤りである。國を繁榮させるのは小さな政府であり、大きな政府は國を衰亡させる。その眞理を雄辯に物語るのは、一千年の長きにわたり存續したビザンティン…
昔から、兵士になることを志願する若者の多くは、純粹な使命感にあふれてゐる。しかし同時に、その使命感と尊い命は、しばしば政府によつて誤つた目的に利用される。その大義名分として唱へられるのが「國益」や「國際貢獻」である。 ジャーナリストの布施祐…
2013年上半期(1-6月)によくアクセスされた記事ベストテンです。 政府に治安を任せるな 保守は經濟がわからない 自衞權はいらない マクロ經濟學のウソ 經濟學者の暴走統計學 サンデル教授、ちょっと変ですよ 平和主義を手放すな 金保有批判の愚 新自由主義…
「無政府」といふ言葉からたいていの人が思ひ浮かべるのは、おそらく混亂、無秩序といつた状態だらう。實際、國語辭典で「無政府状態」を引いても、「社会の秩序が乱れ、行政機関が全く機能しない状態」と書いてある。しかし、政府(行政機關)が存在しない…
〔電子書籍『自由主義者かく語りき――リバタリアンのエッセイ集』より、「はじめに」を転載〕現代文明というものは、洋の東西を問わず、知識人の間ではなはだ評判が悪い。現代文明の「物質主義」「能率主義」「享楽主義」「科学万能主義」などを口を極めて罵…
肉親を殺されたことに對する復讐は、個人の權利である。その權利を國家の死刑制度は奪ひ、個人に復讐を許さない。これは個人の權利を不當に侵すものだから、死刑を廢止し、個人による復讐を復活しなければならない。反對者は「もし復讐が復活すれば、血なま…
資本主義を批判する論者はしばしば、「經濟危機が起こるのは資本主義が本質的に不安定だから」と主張する。しかしそれは間違つてゐる。資本主義に不安定なところはない。經濟危機が起こるのは、資本主義のせゐではなく、政府が資本主義に介入するからである。…
戰前の政治家、高橋是清を崇める聲が政治家や言論人の間で高まつてゐる。高橋が主導した大幅な金融緩和や積極財政は、日本經濟を昭和初期の恐慌から救つたとされる。しかしこれは誤りである。現在のアベノミクスの先驅けである高橋の政策は、その場しのぎの…
保守主義者といへば、左翼とは水と油の關係だと信じられてきた。ところが實際には、左翼と似た主張が少なくない。それが顯著なのは經濟問題で、自由貿易に反對したり、規制緩和を批判したり、大きな政府を擁護したりと、ほとんど左翼と變はらない。しかしこ…
先日書いたやうに、日本國憲法は國家(政府)の自衞權を否定してゐる。このやうに言ふと、「外國の脅威に無防備になつてしまふ」といふ反論が返つてくるだらう。しかしこの反論は二つの事實を見落としてゐる。一つは、憲法が否定するのは國家の自衞權であり…
スティーヴン・スピルバーグ監督の映畫『リンカーン』は、主演のダニエル・デイ=ルイスをはじめ、好きな役者が何人も出てゐるけれども、觀に行く氣がしない。映畫評で知るかぎり、「奴隸解放の父」こと第十六代アメリカ合衆國大統領エイブラハム・リンカー…