ベーシックインカムのユートピア(續)

前囘の記事「ベーシックインカムのユートピア」で小飼弾さんを批判したところ、偶然にもその直後、小飼氏が自身のブログベーシックインカムをあらためて推奬した。しかも財源として、私が同じ記事で批判した飯田泰之さんのインフレ構想を「コロンブスの金の卵」などとほめそやして採用してゐる。恐れてゐた惡夢がいきなり現實になつたやうな氣持ちだ。なんで良い夢を見たときにかういふことが起こらないんだ。

さて前囘も書いた通り、ベーシックインカムの最大の問題點の一つは、財源だ。小飼氏もその點は認めてゐて、自著では「社会相続」といふ、これはこれで大いに問題のある制度を提案してゐる。ちなみにこの制度は、故人の遺産を子供が相續するのでなく政府がそつくり召し上げる、つまり相續税100%といふ凄い仕組みだ。

ところがこれを上囘る名案があつた。その方法なら「誰の財布からも金を抜き取らない」で巨額の財源を確保できるのだ。單純に言へば、政府がカネを刷つてベーシックインカムの支給に充てる。何十兆圓だらうといくらでも刷れる。飯田氏らリフレ派が提唱するやり方だ。

ただ、ひとつ問題がある。リフレ派にとつてインフレを起こすことがそもそもの目的なので當たり前ではあるが、物價高を招くのだ。もらつたカネで年收が増えても、それと同じくらゐ物價が高くなつたのでは、買へるモノは増えないから意味がない。

さらに厄介なのは、物價はすぐ上がるとは限らないといふことだ。生産活動が盛んでモノの量が増えてゐる間は、カネの量が増えても物價は上がらない。だが水面下で經濟構造には確實に歪みが生じてゐる。アメリカ大恐慌前夜の1920年代後半はまさにそのやうな状態だつた。不動産や株の相場はうなぎ登りだつたが、一般の物價は落ち着いてゐた。現在の主流派經濟學を打ち立てたとされるアーヴィング・フィッシャーは1929年10月の株價大暴落の直前、物價の安定から經濟に問題はないと判斷し、後世に語り繼がれることになる有名な宣言を行つた。「株價は永久に高い水準に保たれる。ここ數カ月は特に良い状態にあるだらう」。フィッシャーが物價指數の考案者でもあつたことはなんとも皮肉だ。

日本の1980年代後半のバブル時代も似た状態だつた。土地や株の狂亂ぶりに比べ、日用品の價格はそれほど上昇しなかつた。小飼氏もかう書いてゐる。

あの頃[バブル時代]不動産や株の値段は倍にも三倍にもなったが、自動販売機の缶飲料の値段は100円が120円になった程度だった。これとて20%もの値上がりだったが、以後ずっとその値段で来ている。

20%といふ罐飮料の値上がりは相當なものだが、不動産や株に比べ小幅なのは事實だ。他の日用品の値上がりはもつと小さかつたかもしれない。インフレ率を2%程度に抑えられると假定し、ベーシックインカムで收入が10%や6%アップすれば、物價高を差し引いても短期的に得をする可能性はある。だが問題は長期的にどうなるかだ。前囘書いた通り、ベーシックインカムを含む社會保障政策はモノづくりの力を弱め、富そのものを減らしてしまふ。

しかもその財源を普通の税金でなく紙幣の發行によつて賄ふ場合、さらに深刻な問題が生じる。世の中がカネでぢやぶぢやぶになると、懐工合が豐かになつた人々は消費を増やす。一方、企業は資金調達のコストが下がるため、投資を行ひ、消費者が求める製品の生産を増やさうとする。生産活動が活溌になり、建設ブームが起こり、景氣が良くなる。土地や株が大きく値上がりする。ここまでは一見結構な話だ。

メルトダウン 金融溶解

だが我々がよく知つてゐるやうに、金融緩和がもたらすかうしたにはか景氣は長續きしない。その後どうなるかも周知の事實だ。バブルが浪費する資源は桁外れで、社會から奪ふ豐かさは計り知れない。バブル崩潰後の悲慘な經濟状況を知つてゐながら、バブルを起こすやうな財源捻出法を推奬する小飼氏はどうかしてゐる。

米英の正氣を失つたやうな信用膨脹に比べればまだましだが、日本も長期にわたり人爲的な金融緩和を續けてゐる。このままでは再びバブルが發生しかねない。いやすでに「國債バブル」が發生してゐるともいはれる。バブルは膨らめば膨らむほどその反動も大きい。ベーシックインカムの原資を捻り出すためにこれ以上世の中にカネをばらまけば、行き着く先がユートピアでないことだけは確かだ。

【參考資料】

(アーヴィング・フィッシャーの逸話は192-193頁、金融緩和政策によるバブル發生の解説は136頁以下にある)

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