金本位制を擁護する

クイズ。1929年に起きた世界恐慌の原因は次のどれ?

  1. ものすごいインフレが起こった
  2. ニューヨークである日突然株が大暴落した
  3. 金本位制に復帰した

勝間和代宮崎哲弥飯田泰之日本経済復活 一番かんたんな方法』(光文社新書、2010年、168-169頁)によると、答は3番。金本位制への復歸が世界恐慌の最大の原因といふ。

日本経済復活 一番かんたんな方法 (光文社新書 443)

金本位制世界恐慌を引き起こしたとするこの見解は現在、飯田氏が指摘する通り、主流派經濟學者の間で「常識」となつてゐる。このため世界恐慌の話になると、經濟學者やその影響を受けた評論家らは口を極めて金本位制を貶める。勝間氏は「とんでもない仕組み」(172頁)とまで罵つてゐる。まるで奴隸制かアパルトヘイトだ。

しかし現代主流派經濟學の「常識」は、正しい經濟學に照らせば誤りであることが少なくない。「金本位制犯人説」もその一つだ。

金本位制とは、金(きん)を本來のカネとする仕組みだ。金を持ち歩くのは重いし物騒なので、政府・中央銀行の發行する紙幣*1をその代はりに使ふ。だが紙幣はあくまでも便宜的な代用品にすぎないから、いつでも本來のカネ、つまり金と交換できる。たとへば一萬圓札を日銀に持つて行くと、あらかじめ決められた量の金に換へることができる。日銀は紙幣を刷りすぎると渡す金が足りなくなつてしまふから、紙幣の量を増やすには自づから限度がある。

飯田氏や勝間氏のやうに、デフレ脱出のために日銀が紙幣をほとんど無制限に刷りまくるべきだと考へる人々からすれば、紙幣の量に上限を課す金本位制は、まさに「とんでもない仕組み」にしか見えまい。しかしここで素朴な疑問がわく。一體なぜ、かつて世界の先進諸國は、そんな「とんでもない仕組み」を醉狂にも採用してゐたのだらう。

その理由はまさに「紙幣の量に上限を課す」といふ仕組みそのものにある。金本位制とは、政府・中央銀行に紙幣を野放圖に刷らせないやうにするための制度なのだ。

政府が何の齒止めもなく、紙幣を好きなだけ刷ることができたら、どうなるだらう。わざわざ尋ねるまでもない。我々は現在、まさしくそのやうな世界に生きてゐるからだ。社會福祉公共工事、軍備増強、文化振興、國際支援……政府は自ら刷つた巨額の紙幣を思ひのままに使ふことができる。資金を税で集めるとなると納税者の反對に遭ふから簡單にはいかないが、カネを刷るといふ方法なら、一般人には仕組みがわかりにくいし、經濟的な影響もすぐには現れないので、人々の目を欺きやすい。政治家や官僚、政府の利害關係者にしてみれば、打ち出の小槌を手に入れたやうなものだ。

もちろん無から有をつくり出す奇蹟は不可能だから、紙幣を際限なく刷つたツケは必ず囘つてくる。物價高による紙幣の價値の下落だ。昔の市民は、政府が紙幣を勝手に刷れば自分が持つてゐる紙幣の價値が下がつてしまふことを、歴史の教訓や苦い經驗とともによく知つてゐた。だから金こそ本來のカネであり、紙幣は代用品にすぎないといふ原則、つまり金本位制によつて政府の「贋札づくり」に齒止めをかけた。金本位制とは、國家といふ強慾な怪物から財産を守るため、怪物の足に人々がはめた足枷だつたのだ。

金本位制は19世紀を通じ、國家といふ怪物を辛うじて抑へ込み、市民の財産權を守り、市場經濟が花開く土臺を築いた。だが20世紀の幕開けとともに、國家は金本位制のくびきを振り切り、カネを湯水のやうに使ひ始める。それがどのやうな事態を招いたか。勝間氏自身が次のやうに述べてゐる。

19世紀末には、日本や欧米など世界の多くの国が金本位制をとっていました。ところが第一次大戦が始まって武器をたくさん買う必要に迫られた時、金本位制ではおカネが足らなくなるからということで、いったん管理通貨制度に移行しておカネをたくさん刷ったんですよ。(170頁)

第一次世界大戰は戰車、毒ガス、航空機、潛水艦、機雷といつた新兵器の使用により約九百萬人もの死者を出した。金本位制を維持し、政府が「武器をたくさん」買へないやうにしておけば、ここまで非人間的な結果は避けられただらう。勝間氏はアフリカなどの平和問題にも關心があるはずなのに、金本位制の停止が「戰爭の世紀」への扉を開いた重大性に氣づいてゐない。

第一次大戰後、各國が金本位制に復歸したことで、戰時中に急膨脹したカネの量が減少に轉じ、デフレ(物價下落)の壓力が高まつた。これが世界恐慌を招いたといふのが主流派經濟學の説だ。だがそもそも政府が厖大なカネを刷りまくらなければ、反動によるカネの減少も起こらなかつた。金本位制への復歸はカネの量が正常に戻るスピードを速めたにすぎない。ところが物價全般が下落する中で、政府の介入により賃金率だけがなかなか下がらなかつたため、人を雇ふコストが相對的に高まり、大量の失業者が發生した。恐慌を招いたのは金本位制ではない。金本位制を停止した政府なのだ。

ヒューマン・アクション―人間行為の経済学

經濟學者ルートヴィヒ・フォン・ミーゼスはかう述べてゐる。

膨脹主義者が金本位制缺點と稱してゐることこそ、實はその卓越性であり有用性であつて、それは政府による大規模なインフレーション*2への冒險を沮止する。(村田稔雄譯『ヒューマン・アクション』新版、春秋社、2008年、506頁。原文は新字新かな)

21世紀に入つた今、長きにわたりカネを刷りまくつてきたツケが世界的な財政危機といふ形で露はになりつつある。國家に無制限の貨幣發行を許す管理通貨制度こそ「とんでもない仕組み」だつたのだ。この「とんでもない仕組み」をやめ、金本位制といふ文明の叡智を取り戻さない限り、危機が去ることはないだらう。

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*1:政府・中央銀行は紙幣以外に硬貨も發行し、銀行預金もカネの役割を果たすが、ここでは話を單純にするため紙幣に代表させる。

*2:ここではカネの量を膨張させるといふ意味。