侵掠される日本

外國による侵掠を恐れない人はゐない。侵掠された國民の運命は悲慘だ。生命を奪はれ、財産を奪はれ、勞働を強制される。つまり暴力によつて自由を奪はれる。そのやうな悲慘な運命をたどりたくないから、たいていの國は軍隊を持ち、外敵の侵掠に備へる。日本も例外ではない。

だが考へてみると、我々は現在すでに、暴力やその脅しによつて日々自由を奪はれてゐる。たとへば、課税によつて財産を奪はれてゐる。中央銀行の通貨膨脹政策により、保有する現金の價値を奪はれてゐる。これらは事實上の無給勞働を強制されてゐるに等しい。また政府は厖大な國債を發行してゐるが、これは將來、課税か通貨膨脹で財源を確保し、償還に充てることになつてゐる。すなはち將來の國民も財産を奪はれ、不本意な勞働を強制されようとしてゐる。

つまり我々は日本政府の暴力や脅しによつて自由を奪はれてゐるし、今後も奪はれようとしてゐる。侵掠は外國によつていづれ引き起こされるかもしれない出來事ではない。すでに今ここで起きてゐるのだ。

もちろん、外國の侵掠に比べれば、自國政府による侵掠の方がまだましといふことはある。日本政府は課税や通貨膨脹で國民から財産を奪つてゐるが、外國政府はさらに非道な搾取をやらかすかもしれない。日本政府は醫師免許制などによる規制で醫療サービスの供給を制限し、國民の生命を危險にさらしてゐるが、外國政府は都市を丸ごと爆撃するかもしれない。

だが少なくとも次のやうなことは言へる。現在、日本が近隣國との間で抱へる北方領土竹島尖閣諸島などの領土問題は、外國による侵掠だから斷乎抗議すべしと主張する論者が少なくない。だがもし外國政府による侵掠に抗議するのなら、自國政府による侵掠にも多少なりとも抗議しなければ筋が通らない。どちらも日本人の財産が奪はれてゐることに變はりはないからだ。

いやそれどころか、近隣國による領土占據が年々廣がつてゐるわけでないのに對し、課税は毎年財産を奪ひ續けてゐるから、より急迫した危機とも言へる。しかし寡聞にして、總理官邸や國會議事堂の前で日の丸を掲げた街宣車が「日本政府による侵掠反對!」と怒號をあげたといふ話は聞いたことがない。

かうした主張に對して豫想される反論は「課税は民主主義の手續きを經て合法的に行はれてゐるのだから、國民の財産を不當に奪つてゐるわけではない。侵掠などと呼ぶのはをかしい」といつたものだらう。だが合法的だからといつて正しいとは限らない。先日の記事で書いた通り、合法的であらうとなからうと、殺人は殺人、竊盜は竊盜なのだ。

自國政府による課税を不當な行爲と呼ぶことは、それほど異常だらうか。さうは思はない。自國政府による課税が不當だと大眞面目に主張し、抗議し、つひには政府相手に戰ひ、獨立した國を少なくとも一つ知つてゐるからだ。アメリカ合衆國だ。

言ふまでもなく、アメリカ獨立戰爭のきつかけは當時の自國政府、すなはちイギリス政府による課税だつた。印紙税など一連の課税に對する反對運動を率ゐたパトリック・ヘンリーの「自由を與へよ、然らずんば死を」といふ言葉は有名だ。もし自國政府による課税を不當と考へ、抵抗することが異常なら、ワシントン、ジェファーソン、フランクリン、そしてヘンリーといつたアメリカ建國の父らの思考や行動も異常だつたといふことになる。イギリスの熱狂的な國粹主義者を除き、現在そんな風に考へる者はゐないだらう。

人間にとつて、自分たちの自由を脅かすのが外國政府か自國政府かといふ區別に意味はない。雙方の脅威に備へなければならない。いや、むしろ自國政府にこそ警戒しなければならない。外國からは軍隊が守つてくれることになつてゐるが、運の惡いことに、自國政府からは守つてくれないからだ。

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