インフレはなぜ「インフレ」か

石油や食料品など一部の商品が値上がりするだけでは、インフレとはいいません。インフレとは物価全体が持続的に上昇する現象を指すのです――。經濟學の入門書によくこんな解説が書いてある。素直な讀者は「なるほど、これで經濟リテラシーが高まつた」と喜ぶ。でもそこで素朴な疑問を感じないだらうか。さう、一體なぜ「インフレ」といふ言葉が「物價の上昇」を意味するのだらうか。

英語のinflationといふ名詞の元になつた動詞inflateの意味を英和辭典で調べると「(空氣・ガスなどで)膨らます」とある。グーグルに「inflate」と入れて畫像檢索してみると、風船やら氣球やらエア遊具やらの冩眞がぞろぞろ出てくる。これがinflateといふ言葉の本來のイメージなのだ。宇宙に關心のある人は「インフレーション宇宙論」を知つてゐるだらう。宇宙が誕生直後に凄まじい勢ひで膨脹したといふ假説で、inflateの本義にぴつたりの使用法といへる。

しかし「膨らます」といふ語がどうして「物價の上昇」を意味するのだらう。「膨脹」と「上昇」は似てゐるやうで全然別の言葉だ。物價は「上昇する」のであつて、「物價が膨脹する」はをかしい。英語でも「上昇する」はriseであつてinflateではない。

實は經濟學の世界でも、かつてinflationは文字通り「膨脹」の意味で使はれてゐた。何が膨脹するのか。世の中に出囘るおカネの量、經濟用語でいふ通貨供給量マネーサプライ)だ。

手持ちのカネの量が増えれば、多くのカネを拂つてでもほしいモノを買はうとする人が増えるから、商品の値段は上昇する。つまり通貨量の膨脹は原因で、物價の上昇はその結果だ。インフレといふ言葉はもともと通貨量膨脹といふ原因を指してゐたのに、いつの間にかその結果にすぎない物價上昇を意味する言葉に變はつてしまつたのだ。

「それがどうした。言葉の意味の移り變はりはよくあること」と思ふかもしれない。だがこの變化には「實害」がある。

かつては政府が通貨量を膨脹させると、それだけで不當な行爲として非難を浴びた。カネ全體の量が増えると、人々が保有するカネの價値が下がつてしまふからだ。

モノの量が變はらないか減つてゐる時は、カネの量が増えると物價が高くなるので、カネの價値が薄まつたことに氣づきやすい。人の目が欺かれやすいのは、生産活動が盛んでモノの量が増えてゐる時期だ。カネの量が増えても物價は上昇せず、影響が目に見えにくいからだ。だが實際にはカネの所有者は見えない損失を被つてゐる。本來ならモノの量が増えることによつて物價が下がり、保有するカネの價値が高まつてゐたはずだからだ。

言葉の指す内容がすり變はるにつれ、それまで通貨量の膨脹そのものに向けられてゐたインフレ批判が、その一つの結果にすぎない物價上昇に向かふやうになつてしまつた。この違ひは大きい。なぜなら「物價上昇さへ招かなければ通貨量をいくら膨脹させても問題ない」といふ言ひ逃れの餘地が生まれるからだ。

事實、現在ではかうした詭辯が主流派經濟學者によつて廣められ、「日本はモノの供給能力が餘つてゐるのでカネの量を増やしてもインフレにはならない」などといふ主張のをかしさに誰も氣づかない。以前なら「カネの量を増やすことそのものがインフレだ」と即坐に批判したはずなのに、誰も批判しない。通貨量膨脹を指す言葉が消えると同時に、我々はそれを批判するといふ發想そのものを失つてしまつたのだ。

ヒューマン・アクション―人間行為の経済学

經濟學者、ルートヴィヒ・フォン・ミーゼスはかうした變化について次のやうに歎いてゐる。

これまでインフレーションといふ語で表はしてきた内容を表せる適當な用語が、もはやなくなつてしまつた。命名できない政策と鬪ふことは不可能である。政治家や著述家が、貨幣の巨額追加發行といふ便法に疑問をもつても、公衆が認め理解できるやうな用語を使ふことは、もはや、できなくなつてゐる。(村田稔雄譯『ヒューマン・アクション』 新版、春秋社、2008年、457頁。原文は新字新かな)

言葉の意味の歪みは政府の不當な行動に對する人々の警戒心をそらす。いや、むしろさうした效果を狙つて言葉の意味は意圖的に歪められてきたと言つてもよい。

このブログではこれまで紛らはしさを避けるため、とりあへずインフレを物價上昇の意味に使つてきたが、論語にも「必ずや名を正さんか」とあることだし、今後は讀者の混亂を避ける工夫をしつつ、本義に忠實な使ひ方をしてゆきたい。

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