政治思想と政治體制など

三宅龍太郎さんといふ方がいくつかの記事に言及してくださつてゐます。以下、それに對する私の意見を記します。

通貨の話をされるなら発行主体(国や政府)の信用が何うであるか、その信用を獲得する為には何が必要か、を考えなければならないのでは。 (「日本国の信用(通貨の本質)」)

國や政府の「信用」とは具體的に何を指していらつしやるのかわかりませんが、たとへばそれが軍事力とか外交力とか國民の道義心といつたことであれば、通貨の價値と一切關係ありません。通貨の價値は政府が作り出す通貨の量によつてのみ決まるからです。どんなに戰爭の強い國でも、カネを野放圖に刷りまくることでその軍事費を賄へば、通貨の價値は下落します。戰後一貫してドルが下落してゐるアメリカのやうに。

民主主義は民衆(国民、人民など)を主権者とする政治理念(思想)を指して居るのであって、政治体制(政体=組織やシステム)を指して居ない。 こう考えないと、立憲君主制で民主主義の思想を採り入れる事は、理論上、不可能になって仕舞う。(「民主主義と民主制」)

一般の思想と異なり、政治思想は政治體制と不可分です。三宅さんが仰るやうに兩者が別物だとすると、「天皇家は滅びても君主制の思想はびくともしない」といふことになり、「それなら別に皇室なんかいらないぢやないか」といふことにもなりかねませんが、それでよろしいのでせうか。

御自身は自由主義者を名乗って居られるようですが、実際のところは共産主義者です。 それも「左寄り」の。 尤も、無政府資本主義は一面で共産主義でもあるけれど、いづれにしても、私はこういう左翼的な思想には反対します。(「急進思想に反対する」)

共産主義は生産手段の私有を禁じますから、生産手段の完全私有を目指す無政府資本主義と部分的にでも一致することはあり得ません。無政府資本主義がある意味で急進的な思想であることは認めますが、急進的といふだけで誤りとは言へません。三宅さんが認める民主主義だつて昔は立派な急進思想だつたのです。

已むを得ず「他人から奪つた金で生きること」は、道徳ではあり得る。 三日間飲まず喰はずの人が、背徳である事を自覚しつつ、そういう生き方を選ぶのは自由であるというのが道徳。(同)

「三日間飲まず喰はず」で、しかも「背徳である事を自覚」してゐる人の話なんか誰もしてゐませんよ。暴力や脅しで他人の財産を奪ふことを何の良心の呵責もなく本業にしてゐる人たちの話をしてゐるのです。

私が課税の立場にある吏員(税務署長など)なら、それだけで木村さんにとって報復すべき敵になって仕舞うけれど、そんな馬鹿な事はありません。(同)

何が「馬鹿な事」なものですか。税務署長なら立派な敵になりますよ。もちろん私は政府と違ひ、暴力など振るはないし脅しもしません。良心に從ひ、税として奪つたお金を返してくれさへすればよいのです。まあ政治家や官僚個々人にそれを要求しても現實には無理でせうから、人々を啓蒙することにより平和的に無政府を目指すわけです。

同じ日本人なのだから、父祖を否定すれば自分も否定される。 要するに、「天に唾すれば自分に返って来る」ような主張はをかしいと云う事。(同)

同じ日本人だらうと何だらうと、犯罪者は犯罪者です。人の生命や財産を一方的に奪ふことは、政府であらうと民間人であらうと、犯罪です。けぢめはつけなければなりません。もちろん、反省してくれれば「罪を憎んで人を憎まず」といふことはあるでせう。

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