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經濟と道徳など

野嵜さん、こちらに書きます。

正直、經濟の話と正義の話を結び附けるのは賛成しかねます。

或は、生延びる爲のパンを得る爲の御金に關する事と、より善く生きる道徳とは、結び附かないと思ひます。

財産權を道徳と結びつけて論じるのは、少なくとも西洋では、中世スコラ哲學の昔から、當たり前のことです。私は西洋の文獻で學んだことを紹介してゐるにすぎません。イギリスの作家、ヒレア・ベロックはかう書いてゐます。

第一のタイプは、まず始めに生産手段を現在の所有者から没収し国家のものにすることを要求する。だが一寸待ってもらいたい。この要求は、実現することが非常に困難なものである。現在の所有者から没収しようとしても、そこには石のように堅い道徳的障壁が立っている。それは大抵の人々が財産の道徳的基盤(財産は一つの権利であるという本能的感覚)と呼んできたものであり、すべての人々が深い根を持つ一つの伝統として少なくとも認めてきたものである。(関曠野譯『奴隷の国家太田出版、2000年、134頁。強調は木村)

お金はパンを得るためのものだから道徳とは一切無關係といふ考へ方は、少なくとも西洋の傳統にはありません。財産權は國家によつて與へられるものでなく、道徳的根據を持ち、したがつて神聖不可侵だといふ發想は、キリスト教思想の傳統を持つ西洋でなければ生まれなかつたとさへ言へます。リバタリアニズムはさうした西洋の知的傳統の延長線上にある思想にすぎません。

パンとパン以外のものを區別することは、兩者の間に何の關係もないと決めつけることではありません。むしろ西洋の優れた智識人は、經濟と道徳の關係について常に氣に掛けてきました。あらゆる事象に道徳的意味を見出さうとするさうした姿勢こそ、西洋精神の發露であると私は考へます。

パンとパン以外のものを無關係だと決めつけるよりは、兩者の關係について學ぶ努力をした方が、物事について、とりわけ戰爭のやうに兩者が複雜に絡み合ふ事象について、より正しい理解が得られると私は信じてゐます。

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