共同體の秩序維持など(2)

程度の差はあれ、全ての自由主義國は、福祉制度の充實に限らず、年金制度、健康保險制度、その他の社會保障制度の充實を行つてゐます。日本も例外ではありません。(2010/04/13 22:49

皆がやつてゐるから正しい政策、とは言へません。

福祉や社會保障の充實した國家が、財政難に陷つてゐる事實も指摘できます。けれども、それは福祉國家それ自體の問題と言ふより、先進國に屡々見られる社會の高齡化の結果であると見た方が適切だと思はれます。(同)

高齢化だけで財政が破綻するのであれば、先進國の保險會社はみな經營危機に瀕してゐるはずです。ところが實際はさうではありません。高齢者の票を目當てに政治家が設計した公的年金の硬直的な仕組みが財政危機を招いてゐるのです。これだけでも「共同體の秩序維持」を政府に任せられないことがわかります。

一方で、過去に實踐された自由放任が、極端な貧富の差を生み、多數の問題を生じた事も指摘されねばなりません。(2010/04/13 22:55

たしかに學校の教科書や新聞にはさう書いてありますが、さうした俗論を正すことがそもそもこのブログを始めた理由です。

政治の議論において、私は、政治的には穩健な立場をとる事の重要性を言はざるを得ません。(同)

仰る通り、穩健であることは大切です。しかし時には穩健よりも大切なことがあります。

財産が奪はれる可能性が極めて高い社會でさへ、道徳的な人間の存在を豫想する事が出來ます。(同)

だからといつて、財産を奪はれる恐れの小さい社會に道徳的な人間が存在しないとも言へません。當たり前の話ですが、道徳的な人間はどの國にも存在します。

しかし「財産が奪はれる可能性が極めて高い社會」には、他の社會にない特徴があります。他人の財産を奪ふ反道徳的な人間が、多くの場合政府といふ名の下に、存在するといふことです。商人の吝嗇などより、こちらの方が道徳的には遙かに由々しき問題です。

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