客觀的な正義など

「最低の道徳」即「刑法」と言つたのは、要は「道徳ではないです」と云ふ事。(2010/04/15 03:15

それでは論理が成立しません。「最低の道徳」も道徳である以上、野嵜さんは「道徳は道徳でない」と仰つてゐることになります。

客觀的な正義なるものは存在しません。客觀的なものは眞理です。

眞理が客觀的であることを述べても、客觀的な正義が存在しないことの證明にはなりません。

道徳は客觀的な正義です。道徳は存在します。ゆゑに客觀的な正義は存在します。

自己の所屬する國家による財産の收奪が「ある」にしても、他の國家による收奪から蒙るであらう被害の程度と比較すればまだ増しである、と云ふ判斷はあり得ます。(2010/04/15 03:28

たしかに現實にはそのやうな判斷はあり得ます。しかし理想の上ではもつと望ましい選擇肢があります。

外敵に對する防衞は重要だからこそ、非効率な政府に任せるのでなく、遙かに効率的な民間で行ふべきです。經濟面を含め政府規制がなくなれば高度な科學技術が急速に發達し、それも民間の國防力を大きく高めるでせう。國内外いづれからも收奪の恐れがなくなり、一石二鳥です。

國防民營化により、優秀な自衞官は民間の「防衞會社」などに引き拔かれて存分に手腕を發揮する一方で、政府と軍需産業の不健全な關係もなくなるでせう。

具體的に、現在の世界の體制を、木村さんの仰る「理想」の社會に移行する爲には、全世界の全ての國家が一齋に「理想」の體制に移行しなければなりません。(2010/04/15 03:30

その必要はありません。理想の自由社會に早く移行すれば上記のやうに國防力がむしろ高まりますから、他國が同じ行動をとるまで待つ必要はありません。

惡意の存在は現實の社會建設を檢討する際の大前提となります。

政府の役割を擁護する人がしばしば忘れてしまふのは、政府もまた、生身の人間が構成する組織にすぎないといふ事實です。しかも政府には民間にない權力があります。惡意の存在を前提とするからこそ、一部の人間だけが權力といふ兇器を持つ體制は避けるべきなのです。

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