GDPのイデオロギー

GDP(國内總生産)の定義式を楯に政府支出の拡大を訴へるやうな經濟評論家たちは想像したこともないだらうが、GDPの概念には多くの問題がある。

GDP=民間消費+民間投資+政府支出+純輸出

右邊の各項目のうち、民間消費、民間投資、純輸出の増減は政府の思ひ通りにならないが、政府支出だけは政府がその氣になりさへすれば自由に増やすことができる。經濟を成長させたければ増やしたければ政府支出を増やせ――といふ主張が的外れであることはすでに指摘した。經濟は政府支出のおかげで發展するのでなく、政府支出にもかかはらず發展するといふのが正しい。

そもそも「政府がその氣になりさへすれば自由に増やすことができる」といふこと自體、政府支出の異樣な性質を物語つてゐる。民間消費、民間投資、純輸出が政府の思ひ通りにならないのは、個人が自發的な判斷で買ふか買はないかを決めてゐるからだ。これに對し政府は市民から税金を強制的に奪ひ、有無を言はさず物やサービスを賣りつけるのだから、そりやあ自由になるはずだ。だが人間は物やサービスを強制的に買はされることによつて、豐かになつたと言へるだらうか。

たとへばあなたが男性で、街を歩いてゐると、若い女性から「英語の勉強法についてアンケートをお願ひしてゐるのですが」と話しかけられる。近くの事務所にほいほいついて行つたところ、いつの間にか屈強な男たちに取り圍まれ、20萬圓もする英會話學習セットを買はされたとしよう(無情にもクーリングオフ制度は存在せず、返品できないものとする)。

この英會話セット、缺陷品などではなく、それなりによくできてゐる。だがあなたは英會話など興味がなく、まつたく使ひたいと思はない。それでも統計上GDPは20萬圓分増える。この時、日本經濟は20萬圓分豐かになつたと言へるだらうか。もしあなたが金持ちで、拂はされたのが20萬圓でなく200萬圓だつたら、日本は200萬圓分豐かになつたと言へるだらうか。2000萬圓なら? 2億圓なら?

もうおわかりだらう。國の豐かさを測る金額は、個人が自發的に支拂つた金額でなければ意味がない。言ひ換へれば、市場取引價格でなければ意味がない。脅迫による押賣りは市場取引ではないから、その「代金」を額面通り經濟統計に採用するのは誰が見てもをかしい。ところがGDP統計は、この誰が見てもをかしいことを平然とやつてゐる。政府支出といふ有無を言はさぬ「押賣り」を自由な市場取引と同列に扱つてゐるからだ。

政府のサービスには市場價格が存在しないのに、GDPはどうやつてその統計上の價値、つまり金額を決めてゐるのだらう。驚くべきことに、サービスを生み出すのにかかつたコストをそのままサービスの價値とみなしてゐるのだ。ダムや道路を誰も使はなくても、建設コストと同じだけの價値があるとして計算するわけだ。

これでは政府支出が過大評價される恐れが強いので、1930〜40年代に國民所得統計が整備され始めた當初、專門家の間でも異論はあつたのだが、政府支出の役割を重視するケインズ經濟學の強い影響力に押し切られ、結局、現在のやうな形となつた。三橋貴明廣宮孝信といつた財政出動派の評論家は自説の根據としてGDPの算式を振りかざすが、そもそもGDPの定義自體が政府支出を正當化するやう作られてゐるのだから、財政出動に有利な結論が導かれるのは當たり前だ。GDPのイデオロギーに氣づいてゐないとしたら實に無邪氣と言はざるを得ない。

では經濟實態により近いものにするには、GDPをどう修正すればよいだらう。まづ政府の「押し賣り」で無理矢理買はされたサービスの價値をゼロと嚴しく考へ、GDPから政府支出をそつくり除く。殘りは民間の經濟活動だけになるから、「民間總生産(GPP=Gross Private Product)」と呼ばう。式で表すと次のやうになる。

GPP=民間消費+民間投資+純輸出

だがこれだけでは不十分だ。この式では政府支出の影響はゼロだが、政府支出が増えれば増えるほど限りある資源(資本、勞働力、資材など)が民間から奪はれ、經濟にマイナスの影響を及ぼすのだから、その影響を反映させるには政府支出分を差し引かなければならない。これを「殘餘民間生産(PPR=Private Product Remaining in private hands)」と呼ばう。式は次のやうになる。

PPR=民間消費+民間投資+純輸出-政府支出

この式からは、バラマキ派評論家の主張と正反對に、經濟を成長させたければ政府支出を限りなく減らせといふ結論が導かれる。野放圖な政府支出でGDPを「順調に」擴大させてきた歐州の國々が財政危機に追ひ込まれ、經濟状況が一氣に惡化してゐる現状を見れば、GDPとPPRのどちらが妥當な指標か、答へは明らかだらう。*1

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*1:GPP、PPRはリバタリアンの經濟學者、マレー・ロスバードが考案したもの。ロスバードによる兩指標の定義はもう少し入り組んでいるが、話をわかりやすくするため單純化した。