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教育バウチャーと選擇の不自由(續)

(3)金持ち以外は得をするか
教育バウチャーの利點としてもう一つ強調されるのは、私立校の高い授業料を今は拂ふことのできない家庭も、教育の機會を平等に得られるといふものだ。「金融日記」の藤沢氏はかう書いてゐる。「富める者の子弟だけがいい教育を受けられ、そうでないものにチャンスを与えられないような国が発展していくわけはありません」*1

この文章が意味してゐるのは、富める者から税金を取り、それをバウチャーの原資にすることによつて、富める者以外が得をするといふことだ。細かく言ふと、富める者以外もバウチャーの原資となる税金は取られるかもしれないが、それを上囘る額をバウチャーとして支給されるので、差し引きで得をするといふことだ。しかし最近の嚴しい財政事情の下で、そんな結構な話が本當にあり得るだらうか。

じつは「金融日記」の別の記事で、近い將來の課税について次のやうな見通しが示されてゐる。

国際的にみると日本は年収500万円とかそれ以下の人たちの負担が極めて軽いのです。そして人数の上でも圧倒的に多いのがこれらの人たちです。高額所得者に対する課税は、日本は国際的に見てもかなり高い部類に入っています。(略)日本人は、大企業や高額所得者が税をもっと負担してくれるという淡い期待をそろそろ捨てるべきでしょう。今度はあなたの番ですよ。*2

「今後は普通のサラリーマンが一番増税される」と題するこの見通しは、きはめて現實的だと私は思ふ。何のことはない、教育バウチャーにせよ他のどんな目的にせよ、富める者から税金を搾り取り、それ以外の者に配るのはもう限界だと、藤沢氏自身が指摘してゐるのだ。教育バウチャーを導入し、その原資を税金で賄ふことになれば、一部の金持ちだけでなく「年収500万円とかそれ以下の人たち」も差し引きで損をする。つまり「圧倒的に多い」「普通のサラリーマン」家庭の選擇の自由は實質的に失はれるのだ。教育バウチャーをいくらたくさん貰つても、家族の生活やレジャーに囘すおカネが減つては意味がない。

眞の選擇の自由を實現する道は、政府を教育から完全に排除することだ。そもそも私立校の授業料はなぜ高いのか。公立校の授業料がタダなので、同じ土俵で勝負しても勝ち目が乏しいからだ。公立校がなくなれば、安さを賣り物(の一つ)にする私立校がもつと増え、授業料は大幅に下がるだらう。一方で公立校がなくなつた分だけ人々の税金は輕くなり、教育費に囘せる資金は増えるだらう。*3

藤沢氏は教育バウチャーを學校だけでなく、塾やお稽古事、スキー教室、パソコン教室、英會話、さらには大人の職業訓練などにも幅廣く使ふやう提案してゐる。*4 だがさういふことなら、もつと廣い用途に使へ、もつと便利な「バウチャー」がすでに存在する。それは貨幣、つまりおカネだ。人々に眞の選擇の自由を與へるのは、人々が自分で稼いだおカネだ。*5 税金を原資とし、政府が用途を限定した金劵などではない。いかなる美名の下であれ、おカネを奪はれた人々の自由が廣がることは絶對にない。

もう一囘續きます。

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