リバタリアニズムは弱肉強食か

市場經濟の下では力のあるものだけが豐かになり、力のないものは貧しさを強いられる。市場經濟を信奉するリバタリアニズムは弱肉強食の無慈悲な思想だ――。これもよくある根據なき批判だ。

弱肉強食の世界では力こそ正義であつて、もめ事は暴力で解決する。だが市場經濟では暴力の支配は通用しない。私有財産制が暴力の行使を物理的に防ぐ役割を果たしてゐるからだ。物理的・社會的にどれだけ力のある者も、他人の家に勝手に押し入ることは法的に許されない。

ヒューマン・アクション―人間行為の経済学

力がすべての社會では、強者は弱者の財産を有無を言はさず奪ふことができる。一方、市場經濟の下では、野蠻な社會で暴君になつてゐたかもしれない人間も、他人を滿足させなければ生活の糧すら得ることができない。ミーゼスの言葉を借りれば、他人の成功が「自分の成功を達成するための手段」(村田稔雄譯『ヒューマン・アクション』 191頁)となる。

市場經濟は動物の社會と同じく「適者生存」の論理に支配されてゐると非難されることもある。さうかもしれない。だが問題は「適者」の意味だ。力が正義の社會では腕節の強い者が「適者」として生き殘るが、市場經濟では他人に奉仕する者が「適者」として評價される。マイクロソフトマクドナルドが世界的大企業に成長したのは、少數の特權階級でなく、多數の大衆に奉仕し、滿足を與へたからだ。

市場經濟の下では、能力の優れた者も劣る者も、自分なりに得意とする仕事を引き受けることで、社會全體の效率を高めることができる。その結果、社會は物質的に豐かになり、弱者を助ける餘裕が生まれる。市場經濟が未發達な社會では命すら保てなかつただらう病人、老人、子供も生きてゆけるやうになる。市場經濟の發展とともに各國の人口が急増した事實は、市場經濟が弱者を切り捨てるどころか、弱者が生きやすい社會をつくることを雄辯に物語る。

むしろ弱者を守るためと稱して市場經濟を規制する政府こそ、弱者が生きにくい状況を生み出す。醫療の質を高めると稱して醫師數の供給を絞つたために醫師が足りなくなり、病院をたらい囘しにされて妊婦が死ぬ。勞働條件を改善するためと稱して最低賃金制や解雇規制を敷いた結果、企業が採用に愼重になり、失業者があふれる。

市場經濟は弱肉強食のジャングルではない。力の支配を否定し、弱者を助ける。政府の強制的な介入こそ市民社會の秩序を破壞し、野蠻状態に引き戻す。

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