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直觀に反する眞理

學問的眞理の中には、人間の直觀に反し、すんなり受け容れにくいものがある。自然科學では、たとへば地動説だ。太陽は毎日昇つては沈むのに、動いてゐるのは地球のはうだなどと、どうして信じられるだらう。

經濟學にもさうした眞理がある。米國の高名な經濟學者、ポール・サミュエルソンは、直觀的に理解しにくい經濟學の眞理は何かと尋ねられたとき、かう答へたといふ。「それは比較優位の原理だ」

この原理によれば、どんなに取り柄がなささうな人も、優秀な人に鴨にされることなく、得になる協力關係を結ぶことができる。具體的に説明しよう。*1

2人しかいない世界を想像してみる。テキパキ太郎とノロノロ次郎だ。2人はパンと服しか消費しない。太郎は、パンも服も、次郎より手際よくつくることができる。パンは次郎の2倍早くつくれるし、服は3倍早くつくれる。

最初に、2人が協力しない場合を想定しよう。太郎と次郎はパンも服もそれぞれ自分でつくらなければならない。2人がパンと服の生産に12時間づつかけ、生産物の量が次のやうになつたとしよう。

【表1】
太郎:パン12個(12時間)、服6着(12時間)
次郎:パン6個(12時間)、服2着(12時間)
合計:パン18個、服8着

さてここで、太郎が「もつとパンがほしい」と思つたとしよう。もし太郎より次郎のはうがパンをつくるのが上手なら、次郎にパンづくりを頼めばよいと、誰でもすぐ思ひつくだらう。だが今囘の例では、パンも服も太郎のはうが手際よくつくることができる。直觀的には、役立たずにしか見えない次郎に仕事を任せるより、自分でもつと長く働いて、パンをつくるはうがよいやうに思へる。だがじつは、やはり協力したはうが得なのだ。

まづ2人は話し合ひ、物をつくる時間の配分を變へる。次郎の能力は、パンも服も太郎にかなわないが、パンをつくるはうが苦手の度合ひが小さい(比較優位を持つ)と言へる。服をつくる時間は太郎の3倍かかるが、パンは2倍でどうにか追ひつくからだ。そこで次郎はパンづくりに專念する。一方、太郎は自分がほしいパンではなく、得意な度合ひが大きい(比較優位を持つ)服をつくる時間を増やす。すると次のやうになる。

【表2】
太郎:パン8個(8時間)、服8着(16時間)
次郎:パン12個(24時間)、服0着(0時間)
合計:パン20個、服8着

パンの合計數が以前の18個から20個になり、2個増えた。しかも勞働時間は太郎も次郎も計24時間で、前と變はらない。協力することで、働く時間を増やさず、2人の世界は物質的に豐かになつた。

次に、太郎と次郎は、お互ひ得をするやうに物を交換する。するとおそらく、次のやうになるだらう。

【表3】
太郎:パン13個、服6着
次郎:パン7個、服2着

これは太郎がつくつた服8着のうち2着を、次郎がつくつたパン12個のうち5個と交換した結果だ。協力關係がなかつた【表1】の状態との違ひを整理しよう。

【表4】
太郎:パン(12個→13個)、服(6着→6着)
次郎:パン(6個→7個)、服(2着→2着)

太郎は望みどほり、より多くのパンを手にすることができた。しかも服は減つてゐない。一方、次郎も服の數は同じで、パンが増えてゐるから、やはり得をしてゐる。太郎から見ればのろまな次郎も、太郎との協力を前提に、自分なりの得意分野(より不得意でない分野)に打ち込むことで、社會全體を豐かにし、自分も豐かになることができた。

以上が比較優位の原理だ。名前がわかりにくいので「交換の原理」または「協業の原理」のはうがいい。經濟學の教科書では、國どうしの自由貿易の利點を説明する箇所によく出てくるが、いま説明したとほり、この原理は個人にも、そして企業にも當てはまる普遍的な眞理だ。生き馬の目を拔く自由主義經濟で、ダメな人が優秀な人に搾取もされず得をするとは、蟲が良すぎると思ふかもしれない。だが眞實なのだ。

ただし原理が正常に働くためには、重要な條件がある。第三者による強制を排除することだ。上の例で言へば、太郎と次郎がパンと服の生産について話し合つてゐるとき、權力を持つ第三者が「いや、次郎も自分で着る服くらゐ自給しろ」と宣言し、協力を規制すれば、2人の生活水準の向上は遠のいてしまふ。

「協業の原理」は直觀で理解されにくいため、じつに樣々な理由をつけてその働きを妨碍される。「食糧は輸入に頼らず自給すべきだ」「安價な輸入品が國内經濟を破壞する」「ショッピングモールが地方經濟をつぶす」「勞働者を安い賃金でこき使ふな」等々。かうした聲によつて樣々な行政措置がとられ、人々の自發的な助け合ひを妨げてきた。

理屈の上では正しくても、直觀に反する眞理は、なかなか世間に受け容れられない。身の危險を冒しても地動説の正しさを説いた科學者ほどの勇氣が自分にあるとは思はないが、自由一般および經濟的自由の重要性を、わかりやすく、できれば樂しめる文章で傳へる努力だけは續けたい。


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*1:以下の例は次の本を參考にした。Manuel F. Ayau, Not a Zero-Sum Game: The Paradox of Exchange 同書はミーゼス研究所のウェブサイトで入手できる。PDF版は無料。http://mises.org/resources/3583