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著作權と文化

コメント欄に書くつもりでしたが、長いのでこちらにします。

著作權の目的は「文化の発展に寄与すること」(著作權法第1條)ですが、かへつて文化の發展を阻害してしまつてゐます。典型的な例としては、著作權の切れた文學作品はウェブで無料で讀むことができ、人々が文學に親しむチャンスが大きく廣がりますが、著作權の有效期間が長ければ長いほど、さうしたチャンスは減つてしまひます。著作權といふ制度は、なくすか、少なくとも保護の期間を短縮した方が文化の發展に寄與するでせう。

著作權がなくなると、違法コピーは合法コピーとなるわけですが、すると作家の生活が成り立たなくなるのではと心配になるかもしれません。しかしそれは杞憂です。コピーによつて文學に觸れ、興味を持つことで、有料でも讀みたいと思ふ消費者が増えるからです。現在、多くの音樂がYouTubeなどで無料で聽くことができるにもかかはらず、ダウンロードによる音樂の市場が成長を續けてゐるのは、その傍證と言へます。逆に、著作權の存在にもかかはらず出版産業が衰頽してゐる事實は、著作權が作家の生活を守る力を持たないことを明らかにしてゐます。

新聞や書籍などの古いメディアは、電子ブックなどの新しいメディアに取つて變はられてゆくかもしれません。しかしそれは活字文化の衰頽を意味しません。音樂CDが賣れなくなり、タワーレコードHMVの經營が苦しくなつても、人々はiPodで音樂を聽き續けてゐます。

私は昨晩、むかし筑摩書房の「明治文學全集」で讀んだ福澤諭吉の「瘠我慢の説」をiPhone向けの青空文庫リーダーで久しぶりに讀み返し、福澤が勝海舟榎本武揚の評價すべきところは評價し、しかし最終的にはあくまでも嚴しく批判するその見事な文章にあらためて感動し、自分もかういふ文章を書かねばならぬと反省したりしたわけですが、もしこの文章を寢轉びながら青空文庫で讀むことが著作權のために不可能だつたら、こんな經驗は恐らくできなかつたでせう。

シェイクスピアモーツァルトも著作權がない時代に多くの傑作を殘しました。ディズニーは現在最も著作權にうるさい會社と言はれますが、そのアニメの傑作、たとへば「白雪姫」は、もしグリム兄弟の遺族や、グリムが話を聞いたドイツの語り部の遺族が著作權を主張してゐたら、生まれることはなかつたかもしれません。文化の發展を望むのであれば、本來の目的を阻害する著作權といふ制度は見直すべきでせう。


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