自由放任政策は機能する(2)クリーヴランド

クリーヴランド

1890年代、南北戰爭後の經濟發展期を不況が襲つた。當時のグローヴァー・クリーヴランド大統領は、一期おいて計二期務めた唯一の大統領(任期1885-1889年、1893-1897年)として知られるが、ヴァン・ビューレン同樣、民主黨出身で、やはり自由放任主義と小さな政府の信奉者だつた。經濟活動への介入に熱心な現在の米國民主黨からは想像しにくいが、當時の民主黨はトマス・ジェファーソンの流れを汲む、經濟的自由を重んじる政黨だつた。

クリーヴランドの自由放任主義の徹底を物語るエピソードの一つが、洪水被害の救濟問題だ。テキサスを襲つた洪水の被害に對し議會が救濟法案を提出したが、クリーヴランドはこれに拒否權を行使した。金額は一萬ドルで、當時としても大きな額ではない。だがクリーヴランドはかう主張した。


私は政府の權力と義務を擴大して個人の苦難を救濟すべきだとは信じない。……權力の役割を限定することを輕視する風潮が流行してゐるが、かうした風潮は斷乎沮止せねばならない。人民が政府を支へるのであつて政府が人民を支へるべきではないといふ教訓が常に守られるやうにしなければならない。(洪水被害に對する)聯邦政府の援助は、政府が父親のやうに世話を燒いてくれるといふ期待を抱かせ、わが國民の不屈の精神を弱めることになる。

政府の權力は嚴しく制限されるべきであると信じるクリーヴランドは、特定の關係者に利益を誘導しかねない法律の増加を強く警戒した。洪水救濟策を含め、拒否した法案は三百以上に上る。一方では關税を引き下げ、自由貿易を促した。かうした自由主義的政策は經濟に好影響を及ぼす。クリーヴランドが二囘目の大統領職に選出された1892年、米國は不況に陷つてゐたが、二年後には恢復に轉じた。<參考文獻>
http://mises.org/daily/3627
http://www.lewrockwell.com/dilorenzo/dilorenzo73.html
http://www.lewrockwell.com/ocregister/grover.html

(初出:Libertarianism Japan Project

<こちらもどうぞ>