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「機會の平等」のウソ――「ハリスン・バージロン」と「ビョードーばくだん」 The Fallacy of 'Equal Opportunity'

ソ聯が崩潰し、社會主義の限界が明らかになつて以來、「結果の平等」を理想として掲げる智識人はさすがにほとんどいなくなつた(まだ一部にゐるやうだが)。だがそれに代はつて「機會の平等」の徹底を求める聲が強まつてゐる。

たとへば、經濟的に豐かな家庭は子供の教育に十分な費用をかけることができるが、恵まれない家庭は教育費に割ける餘裕が乏しい。そこで「機會の平等」を強調する論者は、豐かな家庭に所得税や相續税などの課税を強化し、それを原資に、恵まれない家庭に教育費を補助すべきだと主張する。

だが「機會の平等」を政府の力で實現しようといふのは、人間が不平等に生まれるといふ現實を忘れた、淺はかな考へだ。

この淺はかな考へを突き詰めると、どんな現實が待ち受けてゐるだらう。カート・ヴォネガット・ジュニアの短篇小説「ハリスン・バージロン」(伊藤典夫譯、ハヤカワ文庫『モンキー・ハウスへようこそ〈1〉』所收)は、それを描いた文學作品の一つだ。近未來のアメリカで、政府は人々の能力をあらゆる面で平等にしようと企てる。

モンキー・ハウスへようこそ〈1〉 (ハヤカワ文庫SF)
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政府は、標準を超える智能を持つ人間には耳に特殊なラジオの裝着を義務づける。約20秒おきに雜音を送り、頭を十分に使へないやうにするためだ。容貌の美しい者は假面をかぶらなければならない。身體能力に勝れた者は鉛の玉の詰まつた袋を首から吊り下げなければならない。

工合の惡くなつた夫に、妻は重たい「ハンディキャップ袋」から鉛玉を少し取り出すやうに勸めるが、夫はかう答へる。「もし、わたしがとろうとしたら、ほかの人もまねする――そしたら、たちまち暗黒時代に逆戻りだ。だれもがおたがいに競争するような世の中にね。そんなのは、いやだろう?」

この夫妻の息子、ハリスンは竝外れた肉體的・頭腦的能力の持ち主で、はめられた枷を引きちぎり、自分の力を自由に發揮できる世界を取り戻さうと革命を企てるが、政府によつて射殺される。

ヴォネガットは「機會の平等」への固執が招くグロテスクな状況をシリアスに描いたが、一方で、同じSF仕立てでも、「機會の平等」がもたらす不都合をユーモラスに表現した傑作マンガがある。「ドラえもん」の中の「ビョードーばくだん」といふ話だ。現在小學館から刊行中の「藤子・F・不二雄大全集」のうち『ドラえもん』の第9卷に收められてゐる。

藤子・F・不二雄大全集 ドラえもん 9
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ドラえもんから晝寝ばかりしてゐると責められたのび太、自分は勉強もスポーツも才能がなく、何をやつてもずつこけてばかりで、やる氣がしないと愚痴をこぼす。「不公平なんだよ。生まれつき頭がよかったり悪かったり、力が強かったり弱かったり、こんなのひどいと思わないか!?」

そこでドラえもんが取り出す「ビョードーばくだん」。爪の垢を爆彈に詰めて打ち上げると、灰をかぶつた人たちがすべて自分と同じ能力になる。效き目はてきめんで、のび太に解けない算數の問題はだれにも解けなくなるし、驅けつこものび太と同じ速さでしか走れなくなる。「公平でいいねえ」とのび太は喜ぶ。

さて、のび太が上機嫌で學校から歸つてくると、爆彈の效き目が思つたより強かつたやうで、テレビのニュースによると國會議員がのび太のやうに居眠りばかりしてゐたり、それを報じるアナウンサーも原稿の字が讀めなくなつて番組を抛棄したりする。それだけならまだよいが、のび太のパパは「めんどくさくなって」會社から早く歸つてきてしまふし、おつかひに出たママは息子の粗忽が傳染し、道に迷つて戻らない。夜になつてやつと歸つたママにのび太が「早くごはんにして!!」と泣きつくと、「お夕食のお買い物、どっかへ忘れてきたわ」

「機會の平等」のはらむ問題を見事に剔抉した點で、ドラえもんヴォネガットの作品に引けをとらない。ドラえもんがとくに優れてゐるのは、「機會の平等」を無理に徹底すると、經濟學でいふ「協業の原理」(比較優位の原理)のメリットが享受できなくなることをはつきり描いてゐる點だ。のび太のパパやママがのび太と同じ能力しかなければ、一番困るのはのび太自身なのだ。

得意なことを自分でやり、苦手なことを他人にやつてもらへば、社會全體の效率が高まり、人々は豐かな生活を享受できる。しかし誰もが同じ平凡な能力しか持つてゐなければ、重病になつても治療できる醫者がをらず、美しい歌が聽きたくても上手な歌手がゐないといふことになつてしまふ。

貧しい者を助けるためだといつて富める者の財産を税で奪へば、多額の費用や時間のかかる研究・投資に資金を出せる人がゐなくなる。リスクをとつて事業を興し消費者を滿足させる商品やサービスを生み出す人が少なくなる。かうして社會全體が貧しくなる。

世間には、生物の多樣性を守ることには熱心でも、人間の多樣性は認めたがらない人が多いやうだ。多樣性とは、すなはち個性とは、不平等だといふことに氣づいてゐるからだらう。しかし人間は不平等だからこそ協力し合へる。だから不平等とは素晴らしいことだ。勝れた者に足枷をはめ、それを道徳的とみなす愚かな眞似はやめなければならない。

(初出:Libertarianism Japan Project

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