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社會主義はなぜ不可能か――『まんがで読破 共産党宣言』と『ヒューマン・アクション』 Why Is Socialism Impossible?

ここ二三年、文學や哲學の古典をマンガ化した文庫本のシリーズが相次いで出版されてゐる。よいことだ。原著の内容をすべてマンガで、それもわづかな頁數で再現するのは無理だらうが、マンガ家が勝れた手腕の持ち主なら、原著のエッセンスを傳へることはできるはずだ。

問題は讀み方だ。もちろん書かれてゐることをただ素直に讀むのも惡くはない。ブームの先驅けとなつた「まんがで読破」シリーズ(イースト・プレス)の帶に、ホリエモンこと堀江貴文氏が「とりあえず押さえた程度の知識でもビジネスでは充分に役立つのである」と推薦文を寄せてゐる。これはこれでその通りだらう。だがもしマンガで學んだ内容に自分なりの意見を附け加へることができたら、皆があなたを見る目はぐつと違つてくるはずだ。

共産党宣言 (まんがで読破)
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上記のシリーズから『まんがで読破 共産党宣言』が出てゐる。原著は資本主義の滅亡を「科學的」に豫言した本だが、少なくとも現時點で資本主義は滅びてゐないし、それどころか著者であるマルクスエンゲルスがこの世のユートピアとして描いた社會主義國家は、ソ聯や東歐などでいつたん誕生したものの、國民から自由と豐かさを奪ひ、最後は行き詰まつて崩潰してしまつた。あるいはシナのやうに實質資本主義國になつてしまつた。なぜなのか。得意先や上司、氣になる異性などとの會話で『共産党宣言』が話題になつたとき、かうした疑問に答へるやうなコメントをさりげなくすることができれば、あなたの株は大いに上がるに違ひない。

社會主義國が倒れた理由については後で觸れよう。とにかく受け身にならず、ツッコミを入れながら讀むことだ。では『まんがで読破 共産党宣言』のツッコミどころを特別サービスで少しだけ紹介しよう。

その1。惡徳社長が經營する工場。病弱な爺さんの作業がのろいと言つて、現場監督が棒でぶん毆る。爺さん、息も絶え絶えに作業を續ける。何を作つてゐるか知らないが、そんな状態でやらせたら、不良品續出で會社はたちまち損をしてしまふはずだ。こんなことが許されるのは、どう考へても利益を重視する資本主義國の工場ではなく、ソ聯かどこかの強制收容所だらう。

その2。同じ工場。爺さん、立ちつぱなしの作業に耐へられず、とうとうクビに。その代はりとして「外にいるホームレスを適当に拾つてこい。少し飯をやれば動けるはずだからな」と惡徳社長。それなら最初から作業員を全員弱つたホームレスにすればよいではないか。人件費は安く上がるし、叛抗的な若い男どもを雇ふより勞務管理も樂なはずだ(事實この直後、勞働者たちは叛亂を起こす)。

その3。革命指導者ノーマン、勞働者のユートピアのやうな「社会主義の町」を作らうと提案する。「まず町に工場を作ります。そして工場での生産を計画的に管理運営し、賃金の分配も階級差なく平等におこないます。労働時間も大幅に短縮します」。結構な話だが、その工場ではいつたい何を作るのか。町には從業員專用の食堂・賣店や教育設備、住宅まである。どんな素晴らしい商品を作れば、そのやうな高いコストを賄ふだけの賣上が得られるのか。完成後の工場の樣子を見ても何を作つてゐるかわからないし、誰に販賣してゐるのかも一切説明されない。

このやうに、社會主義のユートピア像やその裏返しである資本主義惡玉論には、さまざまなツッコミを入れることができる。だが今、私がかうした批判を自信滿々やれるのは、かつての社會主義諸國がすでに崩潰したといふ事實を知つてゐるからだ。もしソ聯や東歐諸國がまだ命脈を保つてゐた冷戰時代であれば、理屈では正しいと信じてゐても、「社會主義はダメ」と言ひ切るには相當度胸がいつたことだらう。冷戰初期には西側の經濟學者の間ですら、ソ聯が經濟規模でやがてアメリカを追ひ越すとの豫想が眞劍に語られてゐたのだ。

かうした中で、社會主義は必ず行き詰ると早くから斷言した經濟學者がゐた。オーストリア出身のルートヴィヒ・フォン・ミーゼスだ。ミーゼスが最初にかう主張したのは1920年。『共産党宣言』原著の出版から七十二年後で、ロシア革命勃發から三年後、まだソ聯が國家として成立する以前だ。主張の内容はその後書かれた主著『ヒューマン・アクション』(村田稔雄譯、春秋社)の第二十六章「社会主義下での経済計算不可能性」で讀むことができる。

ヒューマン・アクション―人間行為の経済学
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社會主義經濟が「ダメ」な理由としてよく指摘されるのは、眞面目に働いた者も怠けた者も同じ報酬しか受け取れないのであれば、誰も眞面目に働かなくなつてしまふといふものだ。これを「誘因問題」(incentive problem)と呼ぶ。ひらたく言へば「やりがい問題」だ。しかし社會主義者は、それは克服できると反論する。人望厚い指導者が生産高、賣上高などの目標を設定し、人民のやる氣を鼓舞しつつ、ときには尻をたたきながら、一丸となつて努力すればよい。要は氣の持ちやうといふわけだ。

ところがミーゼスは別のさらに深刻な問題を指摘した。社會主義とは工場の建物や機械、工具、原料といつた「生産手段」を國有化する體制だ。これらの物は市場で賣買されないから、價格が存在しない。するとそれらを使つた事業の採算を判斷できない。資本主義經濟であれば、ある事業が黒字ならそこへさらに多くの資本や勞働を投入し、逆に赤字なら事業の規模を縮小するといつた判斷ができるが、社會主義經濟ではそれができない。『まんがで読破』で革命指導者ノーマンは「工場での生産を計画的に管理運営」すると述べたが、ミーゼスによれば、そもそも社會主義では「管理運営」に必要な判斷ができないのだ。これを「經濟計算問題」(economic calculation problem)と呼ぶ。ミーゼスの言葉を引かう。


局長[社會主義經濟の指導者]が、事業計画に直面したときの苦境を想像してみよう。彼が知らなければならないのは、事業計画の遂行によって福利が増進されるか否か、すなわち彼にとって、もっと緊急な欲望の満足を損なうことなく、現存の富に何かを付加できるか否かである。しかし、この問題解決の糸口は、彼が受ける報告書のどこからも得られない。(738頁)
ミーゼスの主張に社會主義側の經濟學者たちは猛然と反撥した。誘因問題は氣の持ちやうで何とか解決できても、經濟計算問題は社會主義そのものを論理的に不可能にしてしまふのだから、それも當然だ。これに對しミーゼスは弟子のハイエクとともに激しい論爭を繰り廣げた。ここで具體的中身に觸れる餘裕はないが、ミーゼスの言ひ分は『ヒューマン・アクション』の同じ章で讀める。ひとつだけ言へるのは、ミーゼスが豫言した通り、社會主義經濟は機能せず、崩潰したといふことだ。

畢生の大作を英語でマグナム・オーパス(magnum opus)といふが、『ヒューマン・アクション』はまさにマグナム級の著作だ。邦譯本で1160頁、厚さは6センチある。ここだけの話、お値段もなかなかのものだ。しかし自由な市場經濟に關心をもつ人にとつて、その價格に十分値する本であることは間違ひない。最初は理解しにくい專門的な記述もあるが、最近の經濟學教科書のやうに記號や數式だらけでなく、ごく普通の文章で書かれた、じつくり味はふのに適した書物だ。

大册にもかかはらず、邦譯書の賣れ行きは惡くないらしい。夢物語かもしれないが、どこかでマンガ版を出してくれれば、もつとファンが増えるだらう。

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