「デフレは惡い」のウソ(3) 大恐慌その1=株式ブームはなぜ起こつたか

1929年のニューヨーク株暴落をきつかけとした大恐慌の原因について、私自身の考へは前囘少し觸れたが、あらためて考へてみよう。何が大恐慌の原因だつたのか。高橋氏はかう書いてゐる。

こうした史上まれな不況が、アメリカにおける貨幣的要因によって引き起こされたということは学会で共有された見解になっています。(p.97)

「貨幣的要因」の具體的内容について、高橋氏の記述(p.97-98)をまとめると次のやうになる。

  1. 1928年初め頃、アメリカの中央銀行、聯邦準備銀行(Fed)が株式ブームを牽制するために金融引き締めを開始した(補足:その結果、株暴落を招いた)
  2. ただし株暴落は本質的な原因でない。1930年10月に銀行の經營危機が始まり、Fedがこれに對応した金融緩和を行はなかつたため、不況が恐慌に發展した
  3. アメリカの不況は、金本位制を通じて世界各地に飛び火した。金融當局が金本位制を信仰し、緩和政策をためらつたため

だがこれらの説明には拔け落ちてゐる部分や理屈に合はない部分がある。Fedが異常なほどの株式ブームを牽制したことが株暴落の引き金となつたのはその通りだが、そもそも株式ブームはなぜ起こつたのか。資本主義の發展で企業の收益が高まつてゐたことだけでは説明できない。收益の裏附けのある株高ならば、個々の銘柄ごとに一時的な下落はあつても、ほぼすべての株が暴落したり、その後も恢復しなかつたりといふことはあり得ないからだ。最近流行の行動經濟學が説くやうに、投資家心理が「根據なき熱狂」に覆はれてゐたからといふのも十分な説明にはならない。株價は熱狂だけでは上がらないからだ。株を買ふにはカネがゐる。

もうおわかりだと思ふが、前囘觸れた通り、1920年代を通じてFedが行つた金融緩和政策こそが行き過ぎた株ブームを招いたのだ。マネーの注入と人爲的な金利の低下は、單に株價をかさ上げするだけではない。金利が高ければ手を出さないやうなリスクの高い事業に企業を驅り立て、限りある資源を誤つた用途に浪費させてしまふ。このことはやがて企業の收益低下につながり、投資の減少から金融機關の貸出の鈍化や減少を招き、通貨供給量の縮小、株價下落を引き起こす。その後、過大に膨らんだマネーが收縮し、歪められた資源配分が正常に戻るための期間が訪れる。それが不況だ。

これはオーストリア學派と呼ばれるミーゼスやハイエクが明らかにした景氣循環理論で、ハイエクはこの功績によつてノーベル經濟學賞を受賞してゐるのだが、新古典派・ニューケインジアンを主流とする現在の經濟學界ではほとんど無視されてをり、高橋氏もまつたく觸れてゐない。だが主流派經濟學では好況と不況の原因を論理的に説明できない。標準的な經濟學の教科書には、不況は「ショック」によつて起こるなどと書いてある。たとへば『マンキュー マクロ経済学 (第2版)I』(足立他譯、東洋経済新報社、2003年)にはかうある。

経済全体の景気変動は、総需要や総供給が変化することによって生じる。これらの曲線の外生的な変化を、経済学者は経済へのショック(shock)と呼ぶ。(p.251)

だが株價の暴落やそれこそリーマン「ショック」のやうな金融危機は、どう見ても經濟内部で起こつた出來事であり「外生的」な變化とは言へないだらう。その「ショック」がどうして起こつたのかを含めて説明できなければ、理論とは呼べない。

Libertarianism Japan Projectへの寄稿を一部修正)

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