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『アメリカの大恐慌』を讀む(10)景氣循環理論への批判と反論

景氣循環理論への批判と反論(Problems in the Austrian Theory of the Trade Cycle)

これまで説明したオーストリア學派の景氣循環理論には、異論も唱へられてゐる。この項では主な批判に對し、ロスバードが反論を述べる。

America's Great Depression

America's Great Depression

遊休設備・失業が存在する場合

よくなされる批判の一つに、オーストリア學派の景氣循環論は生産設備と勞働がフル活用されてゐる状況を想定してをり、遊休設備や失業が存在する場合にはあてはまらないといふものがある。

つまり遊休設備や失業者が存在する場合、物や勞働力が餘つてゐるわけだから、政府が市場にマネーを注入し、へたりさうな企業の活動を刺戟しても、人材や物資が足りなくなる恐れはなく、物の値段や賃金を押し上げてインフレ(物價高)になる心配はない、と言ひたいわけだ。今の日本でよく聞かれる「大幅なGDPギャップが存在するから、マネーの量をもつと増やしてもインフレにはならない」といふ主張も、本質的に同じ議論と言へる。

だがかうした議論は誤りだとロスバードは指摘する。たとへ餘つてゐる生産設備や勞働力を活用しても、それだけで物やサービスを生み出すことはできない。生産設備や勞働力以外に、原材料などさまざまな補完的要素(complementary factors)が必要だからだ。勞働力にしても、ある職種の人材は失業で餘つてゐても、他の職種は人手不足といふことがある。これらすべてが使用・雇傭されず餘つてゐることはありえず、結局、他から持つてこなければならない。これは稀少な資源の配分を歪め、不效率を招くし、價格の上昇にもつながる。

貨幣理論と景気循環/価格と生産 ハイエク全集1-1 【新版】

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ロスバードと同樣のことをハイエクは次のやうに述べてゐる。

かれら[批判者]が見落としているのは、耐久的な生産手段だけが生産の増大に必要とされる資本のすべてではないということと、現存の耐久設備がその能力一杯にまで使用されるためには、比較的遠い将来においてのみ果実をもたらす長期的生産過程へその他の生産手段を多量に投資する必要があるということである。(古賀勝次郎他譯「価格と生産」『ハイエク全集[新版]1-1』204頁)

政府が人爲的に金利を低下させ、企業をリスクの高い事業に驅り立てると、資源や人材をより價値のある經濟活動から奪ひ、浪費することになつてしまふ。不況で生産設備や勞働力が一見餘つてゐるからといつて、金融緩和で景氣を刺戟しようすれば、資源・人材の誤つた使用と浪費を繰り返すことになり、不況からの脱出は遠のくばかりとなる。不況時に政府がなすべきことはリフレ政策などでない。物價を含め、市場の自然な調整の邪魔をしないことだ。

ハイエクはさらにかう指摘してゐる。

したがって、分析の最後において、われわれは古くからの真理を確認するだけの結果に到達する。その真理とは、拡張をうまく抑制することによっておそらく恐慌を防止することができるであろうが、いったん恐慌が到来すると、それが自然な終焉を迎える前にそこから脱出するためにわれわれがなしうることはなにもない、というものである。(前掲書、206-207頁)

ミーゼスも同じやうに、リフレ政策の害惡に警鐘を鳴らしてゐる。

信用膨脹とインフレーションの継続を差し控えると、不況を永続化するという信用膨脹とインフレの擁護者の信念は、全く誤っている。そのような著述家たちが提唱する救済策では、ブームを永続させることはできず、回復のプロセスを狂わせるだけであろう。(村田稔雄譯『ヒューマン・アクション』611頁)

ヒューマン・アクション―人間行為の経済学

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過大投資と誤投資

よくある誤解は、人爲的な低金利が過大投資(Overinvestment)を引き起こすといふものだ。だがオーストリア學派の景氣循環論によれば、引き起こされるのは「誤投資」(Malinvestment)であつて過大投資ではない。誤投資といふのはオーストリア學派獨特の用語で、景氣循環論を理解する鍵になるので、過大投資との違ひを確認しておかう。

過大投資は、たとへば本來10だけ投資すればよいところを20も投資してしまふことだから、量的な過ちだ。これに對し誤投資とは、事業Aに投資すべきところを事業Bに投資してしまふことで、質的な過ちだ。

金利が低くなり、借入コストが下がると、企業は金利が高いとできなかつたやうな、リスクの高い事業に前向きになる。製造業の場合、多額の資金を投じて土地を贖入し、工場を建て、機械・器具を導入し、原材料を買ひつけ、人を雇ふといつた行動をとる。消費者が直接消費する消費財(consumer-goods)にたいし、工場の建物、機械・器具、原材料などは資本財(capital-goods)と呼ばれる。資本財は生産過程が複雜になるほど、「機械の部品を造るための機械」「その機械を造るための金屬を造るための工場」など、最終製品の完成から遠い工程が増えてゆく。

オーストリア學派の用語では、生産の過程のうち、消費者に近い川下の段階を「低次」(lower orders)、遠い川上の段階を「高次」(higher orders)と呼ぶ。高次の生産への投資は、成功すれば生産性が高まるが、實際に物を生み出して收入をもたらすまでに時間がかるため、企業はリスクを恐れてなかなか踏み切れない。だが金利が低くなり資金調達コストが下がるとリスク許容度が高まり、投資を實行する企業が増えてゆく。

だがさうした投資が、政府の人爲的な金利引き下げを受けたものだつた場合、消費者の本當の需要を反映したものでないため、失敗に終はることになる。これが誤投資だ。單に投資を多くやりすぎたのならその後の調整は比較的簡單だが、異なる分野に誤つて投資された資本や人材が適正な分野に再配置されるには時間がかかる。人爲的な低金利はそれだけ罪が重いといへる。

景氣循環はなぜ繰り返す

批判者の中には、オーストリア學派の景氣循環論は好況と不況の一囘きりの循環は説明できるかもしれないが、それが何度も繰り返されることを説明できないと考へる人々がゐる。そして景氣循環は「自己發生」するといふ、なにやら神祕的な假説を正しいと主張する。だがこの假説は、經濟は需要と供給に從つて均衡に向かふといふ一般法則に反する。怪しげな假説に頼らなくても「景氣循環の反復はミーゼス理論で説明できる」とロスバードは強調する。

景氣循環の反復は二つの事實から説明できると言ふ。

  1. 銀行は常に可能な限り貸出を増やさうとする
  2. 政府はこの銀行の姿勢をほとんど常に擁護・促進する

銀行のおもな收益源は融資だから、限度一杯まで資金を貸し出さうとする。もちろん政府も本質的に貨幣の膨脹を好む。銀行は融資に必要な準備(金本位制の場合は金)が流出するやうになると、取り附けにあつて倒産することへの恐れから融資を縮小せざるを得なくなる。だが嵐が去れば、喉元過ぎればなんとやらで、銀行と政府は再びマネーの膨脹に精を出す。かうして景氣循環は繰り返されるのだ。市場の原理に反する超自然的な「理論」など持ち出す必要はない。

金の増加と景氣循環

金本位制は政府による恣意的な貨幣の發行に齒止めをかけ、景氣循環をなくすといふ利點を強調すると、よく返つてくるのは「金だつて、金鑛脈の發見などで供給が増えると、貨幣の増大によつて景氣循環を引き起こすはずではないか」といふ反論だ。たしかに金の増加にもそのやうな働きはあるが、その效果は政府が發行する不換紙幣に比べればはるかに小さい。不換紙幣は無制限に刷ることができるが、金の増加は運よく金鑛が見つかつたときに限られるからだ。

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