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『アイアムアヒーロー』と市民の武裝權

鈴木英雄、三十五歳。マンガ家として短期間ながら雜誌に連載を持つたこともあつたが、その後鳴かず飛ばずでアシスタントとして糊口をしのぐ。焦りと不安を感じながらも決まりきつた日常に流される日々だ。そんなある日、人々を原因不明の怖ろしい災厄が襲ひ、英雄は死と隣り合はせの非日常的な世界に突如投げこまれる。

アイアムアヒーロー 1 (ビッグコミックス)

花沢健吾アイアムアヒーロー』(小学館)は「ビッグコミックスピリッツ」に連載中の人氣マンガだ。人々を襲つた災厄とは、ゾンビ化現象。正體不明のウイルスに冒された人間は正氣を失ひ、醜く變貌し、人を喰ひ殺さうとする。噛まれた相手は傷口から感染し、兇暴な怪物に仲間入りする。感染は瞬く間に廣がり、物語の舞臺である東京周邊は阿鼻叫喚の地獄と化す。

どの場面も眞に迫つた、おぞましくもすばらしい描冩に滿ちてゐるが、とりわけ單行本第一卷の最後から第二卷の最初にかけて、英雄の戀人、徹子がウイルスに冒され變はり果てた姿となり、英雄に襲ひかかるシーンは、一度讀んだら決して忘れられないだらう。愛する者が人の心を失ひ、獸同樣の振る舞ひに及ぶのを眼前にするほどの恐怖と絶望があるだらうか。せめてもの救ひは、徹子に人間の心がわづかに殘つてゐたことだ。徹子は英雄を襲ふ直前、アパートの戸にみづから噛みつき、前齒をすべて折る。おかげでそのあと噛まれた英雄の手は傷つかず、感染を免れる。

安全な場所を求めてさまよふ英雄は、あちこちでゾンビに出くはし危うい目に會ふが、日頃の不攝生でたいして體力もないにもかかはらず、なんとか生き延びる。その鍵は、趣味の射撃に使ふため、たまたま携行してゐたライフル銃だ。

小心者の英雄は、ハリウッドのアクション映畫のやうにところ構はず銃をぶつぱなしたりはしない。既刊の單行本(五卷まで)を讀む限り、實際にゾンビを撃つたのは數へるほどだし、銃を構へてはみたものの、普通の人間に當たつては大變だと、撃つのをやめてしまつたことすらある。それでも銃が大きな力となつてゐるのは間違ひない。ゾンビは頭部を破壞しないと死なないし、人間離れした怪力なので、素手で立ち向かふのは無理だ。銃を持つて逃げる英雄を見て、男が車に乘せてくれ、命拾ひしたこともある。實際に撃たなくても、銃は生命を守るのに役立つのだ。

Personal Defense for Women

さて、幸ひゾンビが現實に登場することはないだらうが、それに類した非常事態を想定すれば、私たちが自衞のために銃を保有したいと思つても不思議はない。ことに非力な女性や老人にとつて銃は心強い身方になるはずだ。しかし實際には、個人の銃保有は嚴しく制限・禁止されてゐるのが一般的だ。

不可侵の權利

日本のことはあとで觸れよう。保有が原則自由な米國でさへ、今年一月にアリゾナ州ツーソンで起こつた亂射事件のやうに、銃を使つた兇惡犯罪が發生するたびに、規制を強めるべきだといふ議論が政治家やメディアによつて卷き起こされ、贖入・所持・携帶などへの規制が強められてきた。

しかし自分の生命や財産を守るために武裝することは、本來、人間の基本的な權利であるはずだ。だから米國憲法は修正第二條ではつきりとかう定めてゐる。「規律ある民兵は、自由な國家の安全にとつて必要であるから、人民が武器を保有し、また携帶する權利は、これを侵してはならない」

銃規制を主張する人々は、個人が自由に銃を所持できると、銃を使つた犯罪が増大するといふ。だがそれはをかしい。犯罪者は非合法な手段で銃を手に入れるものだから、一般市民が銃を持てなくなればなるほど、優位に立てることになる。エコノミストのジョン・ロットは More Guns, Less Crime (『銃が増えれば犯罪は減る』)といふそのものずばりの題名の著書で、銃規制の影響を分析し、規制は犯罪をむしろ増やすと述べてゐる。

More Guns, Less Crime: Understanding Crime and Gun-Control Laws (Studies in Law and Economics)

また銃規制論者は、米國憲法で定めた銃保有の權利は政府の警察が整備されてゐない時代のものだから、今では不要だといふ。しかしリバタリアンとして銃規制に斷乎反對する下院議員のロン・ポール指摘するやうに、アリゾナ州の亂射事件が起こつたとき、警察が現場に到着するのに二十分もかかつてゐる。犯人に組みついて取り押さへ、犠牲者の擴大を防いだのは、その場にゐあはせた銃を持つ青年だつた。

ロン・ポールはかう述べる。「銃と暴力といふ現實は動かしがたい。問はれるべきは、無防備で警察を待つか、それとも自分で武裝する選擇肢を持つかだ。犯罪者が前者を好むことは間違ひない」。日本の主流メディアなら米國の田舎者の言ひ分として嘲笑することだらうが、市民の安全を守るといふ法の本來の役割を正しく理解してゐるのは、ロン・ポールの方だ。

The Revolution

それにしても米國スイスなどとともに、銃の保有をいまでも認めてゐることは評價されなければならない。それに引き換へ、日本ではそもそも、銃の保有は狩獵などの目的以外、原則禁止されてゐる。そればかりか刄物の贖入・所持にたいする規制も嚴しい。二〇〇八年の秋葉原通り魔事件の後では、兇器にダガーナイフが使用されたといふ理由で、銃刀法改正により刄渡り五・五センチを超える刄物の携帶が禁止された。このとき、個人の武裝權を主張して規制に反對した氣骨ある政治家がゐたといふ話は聞いたことがない。

銃や刄物の規制を主張する論者に革新系の政治家・智識人が多いのは理解できるが、保守系の政治家・智識人が規制に反對しないのは奇妙なことだ。保守派は國家の安全保障を目的に軍事力増強を主張するが、それならばまづ、主權者である國民ひとりひとりに自衞のための武裝を認めるべきだらう。市民の武裝に反對する保守派は「自分の身は自分で守る」といふ自らの主張を裏切つてゐる。

もちろん市民が武裝すれば、政府は、チュニジアやエジプトで起こり、リビアで起こりつつあるやうな革命をつねに心配しなければならなくなる。だがそれは市民にとつて望ましいことではないか。顛覆されてしまふかもしれないといふ恐れを政府が抱いてゐれば、自由の理不盡な束縛や非道な彈壓は減るだらう。逆に言へば、だからこそ自分の思ふやうにやりたい政府は、刀狩の昔から人々の武器を奪ひ、丸腰を強ひてきたのだ。

アイアムアヒーロー』で、英雄から助けられた女子高生の比呂美が、生き延びた幸運を噛みしめながらかう話す。「英雄くんのおかげ。頼りないヒーローだけど」(第五巻)。人は武器を持ちさへすれば他人を助けるヒーローになれるわけではない。しかし自分や他人の身を守らうとする者から、政府が武器を奪ふ權利はない。

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