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巨大地震と經濟 五つの謬論(5)消費しまくれ

被災で多くの人々が命を落としたり、不便な避難生活を強ひられたりしてゐることが傳はるにつれ、震災を免れた者が消費を樂しむのは申し譯ない、不謹愼だと言ひ出す人がゐて、それに對し「消費を控へると經濟活動が停滯し、被災地にも惡い影響を及ぼす。むしろどんどん消費すべきだ」といふ反論がなされるやうになつた。

被災した人が氣の毒だからといつて、消費を無理に切り詰める必要などない。そんなことをしても被災者が樂になるわけではない。むしろ消費をやめれば、たとへば、被災地やその近隣でからうじて生産されてゐる商品やサービスへの需要が冷え込んでしまふかもしれないし、首都圈などで働く被災者の親族の收入が落ち込み、仕送りができなくなるかもしれない。これは一面の眞理だ。

だが一方で「日本を元氣にする」ために、ひたすら消費に勵めといふのも行き過ぎた議論だ。誰かが悲慘な目にあつてゐるとき、心から樂しむ氣分になれないのもまた、人間の自然の感情だし、地震津波、原發事故、さらには不況といつた災厄が自分の身にも降りかかつてくるかもしれないのだから、それに備へて消費を控へ、節約モードに入るのはある意味で當然の行動だ。

知つておくべきは、消費を控へ、節約に勵んだからといつて、被災者に迷惑をかけるわけではないといふことだ。多くの人が物やサービスを買はなくなると、その分、それらの物やサービスは値下がりし、經濟的に苦しい被災者にとつて恩恵となる。また節約して貯めたおカネを金融機關に預ければ、それが企業に貸し出され、崩れた道路や住宅、學校といつたインフラを復舊する資金に使はれる。だからインフラ投資のやうな長期の資金が必要なときには、どちらかといへば人々が消費を控へ、貯蓄を増やしたはうがよい。

日銀が輪轉機を囘して無からカネをつくりだすと、物は増えてゐないのにカネだけが増えるから、インフレを招いてしまふ。しかし人々が節約してカネを貯めるときは、一方で買はない物が餘るから、インフレにならない。これが復興資金を捻出する最も正攻法かつ理想的な方法だ。

要するに、人は消費によつて被災者を助けることもできるし、節約によつて助けることもできる。どちらの方法をどれだけ選ぶかは、それぞれが自分の生活に應じて決めればよい。さうでなければ決して長續きしない。寄附は直接的な支援だが、通常の經濟行爲によつて間接的にも人助けはできる。最惡なのは、集團の力で個人に自由な判斷を許さないことだ。強制されて行ふ善行に道徳的な價値はない。

震災後、非常事態下で冷靜に協力し行動する人々の態度が賞賛されてゐる。私はひねくれ者なので、人間はそもそも外部から危機に襲はれると團結するやうに進化した生物だから、そこまでありがたがる必要はないとも思ふし、この間まで冷たい「無縁社會」に生きてゐたはずの日本人が突然人間性に目覺めたのはどういふわけだ、豐かな無縁社會より悲慘な有縁社會の方が望ましいのかと皮肉の一つも言ひたくなるが、それは今囘はやめておかう。なんにせよ、人間が道徳的に生きるのはすばらしいことだ。だがもしさう思ふなら、人を助けるといふ道徳的な行爲に、なぜ政府による強制の介在を許してしまふのか。被災地で掠奪が起こらないことを誇るなら、なぜ税や「見えない税」による財産の掠奪を恥づべきことだと糺彈しないのか。

日経BPクラシックス 世界一シンプルな経済学

英國の歴史家で政治家でもあつたトマス・マコーリーはかう書いてゐる。「国を繁栄させるのは、知識のたゆみない進歩であり、よりよい暮らしを求める人々の営々たる努力である。(略)悲惨な戦争、扇動、迫害、大災害でさえ、国民が刻苦精励して資本を形成するよりも早くそれを破壊することはできない」(ヘンリー・ハズリット著、村井章子譯『世界一シンプルな経済学』28頁より再引用)。マコーリーと同じく、未曾有の大災害を人々はきつと乘り越えると私は信じてゐる。だがそれを一日も早く實現するには、人々の經濟的自由――もちろん「惡徳商人」の自由も――を政府が侵さないやう、つねに監視し續けなければならない。(終)

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