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呉智英氏の思ひ出(7)疑義

1998年頃だつたと思ふ。呉氏は、保守派論客によるシンポジウム(「新しい教科書をつくる会」關係だつたかもしれぬ)にゲストとして招かれた席上、「私は天皇制廢止論者である」と發言し、物議を釀した。激しい左翼批判で知られた呉氏の「反天皇發言」は、言論界では意外に受け止められたやうである。私は討論會に行かなかつたので、詳しい發言内容は知らない。しかし以前の「話の特集」のインタビューを思ひ出し、「ああ、やつぱり」と得心したのである。

呉氏が昨今の安直なナショナリズムに與せず、しかも保守派言論人やその贊同者たる聽衆の面前で、堂々と「反天皇」の持論を開陳した事は、立派であると思ふ。それでも私は、簡單に「天皇反對」と言ひ切つてしまふことには抵抗がある。森鴎外は明治四十五年に發表した短篇小説「かのやうに」において、「神話と歴史とをはつきり考へ分けると同時に、先祖その外の神靈の存在は疑問になつて來るのである。さうなつた前途には恐ろしい危險が横はつてゐはすまいか」と書いた。鴎外が「神話」と書く時、天皇を念頭に置いてゐたのは確實である。私は、天皇といふ存在を政治的・社會的な意味で放逐してしまつたならば、「さうなつた前途には恐ろしい危險が横はつてゐますまいか」と懼れる。呉氏には、そのやうな危惧はないのだらうか。

天皇を戴く商人国家

すでに少しく觸れたが、私は、松原正氏の著作に親しむやうになつて以來、呉氏との思想の相違を比較しては色々と思ひを巡らすやうになつた。松原氏は、時代を超えた道徳や文化の重要性を説きつつも、「日本は鎖國してゐた昔には戻れない」としばしば強調する。その師たる福田恆存氏も同樣の思想的立場であり、あへて亂暴を承知で呼べば、「近代化論者」である。これにたいし、呉氏の「封建主義」を名稱から判斷して、「復古的」と呼ぶ事は單純すぎよう。それでも呉氏には、「歴史の時計の針を逆に戻す」ことを、福田松原兩氏ほど難しいとは考へてゐないやうに見受けられる場面がある。

第一囘で紹介した「オールナイターズから奪つた八十人の聽衆」(『バカにつける薬』所収)に、こんなくだりがある。呉氏は一橋大學での講演の直前、同學教授で、マルクス主義歴史學者の佐々木潤之介氏が「封建主義の復權などといふ不可能事を主張するとは無責任」と、強く批判してゐることを知る。佐々木氏が來場して議論でも吹つかけて來たらどう邀撃するか。「よし、ウルトラマンスペシウム光線でいこう」。奧の手の「スペシウム光線」とは、論戰の最後の最後に佐々木氏に放たうと心に秘めた、以下のやうな反論である。

封建主義の復権が不可能だとおっしゃるのはご自由だが、共産主義の実現にかぎって、どうして不可能じゃないんですか、たかが主義の復権より、もっと不可能なはずの、主義の実現を信じる歴史学者は、無責任じゃないんですか、と。

呉氏らしい小氣味好いレトリックである。しかし、よく考へると、この反論はやや苦しい。共産主義は、曲がりなりにも舊ソ聯や東欧諸國や現在の中華人民共和國などにおいて、少なくもある程度實現した「實績」がある。だが、世界のどこにも、いまだ「封建主義革命」に成功した國もなければ、そもそもそんな革命に乘出した國もないのである。なるほど、呉氏が『封建主義、その論理と情熱』で書いたやうに、イラン革命によりイスラムの神權政治が復權した。だがそのイランも今や「民主化」の壓力と無縁ではゐられず、國内で男女平等や政治的自由を求める運動が高まつてゐる。かうした世界の實情を見ると、舊い主義の「復權」が新しい主義の「實現」よりも容易だとは、おいそれといへさうにない。

バカにつける薬 (双葉文庫)

呉氏は『封建主義者かく語りき』において、『鎖国の経済学』の著者たる經濟學者、大崎正治氏の名を擧げ、絶讚するわけではないが、積極的に評價した。だが資源保護の觀點から自給自足經濟の效用を説く大崎氏の主張にたいしては、呉氏の弟子筋にあたる浅羽通明氏ですら、「北朝鮮の例を見よ」と『ニセ学生マニュアル』の中で批判した。不景氣でよたよたしてゐるとはいへ、まだまだ金滿國の日本が、勝手に鎖國することを、アメリカをはじめとする諸外國が許すはずがない。鎖國してゐた昔には戻れないのである。

呉氏自身、「封建主義」の實現が可能だと安直に信じてゐるわけではあるまい。單純な近代否定論者でもない。數年前、「正論」誌上だつたと思ふが、「新しい歴史教科書をつくる会」の藤岡信勝氏との對談で、呉氏は「現實的には、民主主義を正しく使つて行くしかない」といふ意味の發言をしてゐた。呉氏といへども、「さらば、民主主義よ」とは簡單にいかないのである。ならば、「さらば、天皇よ」とも簡單にはいかないのではないか。
(初出「地獄の箴言」2001年4月29日。表現・表記を一部修正)

天皇について、現在では筆者(木村)自身の考へがかなり變はつた。それについては後日書くことにしたい。

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