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呉智英氏の思ひ出(8)手紙

スイスに來て二年目、すなはち1999年の新春である。仕事や生活がやうやく落着いたのを機に、勇を鼓し、私は呉氏に初めて手紙を書いた。宛先は、呉氏の著作を多く出してゐる双葉社編輯部氣附である。永年の愛讀者であること、「噂の眞相」への投稿を著作で紹介して貰つたこと、大學時代に講演を聽いたことなどを、緊張しながらも懷かしい氣持でしたためた。

その後で、呉氏の主張に對する感想といふ名目で、實質的には質問を以下のごとく書き連ねた。字句を一部改めた以外、原文のままである。思ひ出に殘る手紙と思ひ、コピーを取つておいたのである。

  • 天皇制度の擁護。先生は昔、「話の特集」誌のインタヴューで「民主主義は駄目だが共和制は良い」との趣旨の事を述べられ、最近のシンポジウムでは「私は天皇制廢止論者」と明言されました。私は、T・S・エリオットや加地伸行氏が云ふやうに、人間が道徳的・文化的に生きる爲には宗教が必要であり、日本人にとつて天皇を祀り主とする「先祖教」(天皇制度)は不可缺と考へます。先生の理想とされる封建制社會の下でも天皇(王)の存在は不可缺ではないでせうか。王と云ふ「時代錯誤」な存在を缺いた社會は全く無味乾燥ではないでせうか。
  • フランス革命を起源とする「人權」とは別の「人權」概念を救ひ出す必要は無いか。山路愛山は「日本の歴史に於ける人權發達の痕跡」で、皇室による日本統一以來、明治維新後に到るまで、人民が自己の存在を主張し、自己の權利を擴大して來たと説いてゐるさうです。
  • 「人權」の概念無くして、刑事手續における被疑者、被告の保護は可能か。
  • 徳治主義の現代における有效性。韓非子は「五蠹篇」において、「孔子の徳は世界がこれを讚美したが、門人となつて附從つた者はわづかに七十人に過ぎなかつた」と、徳治主義の限界と法治主義の優位を説いてゐます。
  • 呉先生のおつしやる「封建主義」における靈魂觀。人は死後、佛教が説くやうに西方淨土に行くのか、儒教が云ふやうに消えてなくなるのか、柳田國男平田篤胤が信じたやうに「故郷の山の高み」にとどまるのか。

今讀み返すと、隨分とぶしつけであるし、己が不勉強を棚に上げて答へを聽かうとする蟲の好い根性がありありである。質問の仕方が拙劣な箇所もあつた。それでも、さすがに「是非とも御返事ください」と書けるほど私の心臟は強くなかつた。勿論本音を言へば、呉氏の意見はぜひ知りたい。だが何といつても先方は有名な評論家であり、こちらは一讀者にすぎない。返事を貰へるとは期待しなかつた。歸國して、いづれまた講演でも聽く機會があれば、その時にあらためて尋ねよう――。そんな風に考へてゐた。

ロゴスの名はロゴス (双葉文庫)

ところが、呉氏は早速返事をくださつたのである。半月後、ややかさばる航空便が屆いた。茶封筒を開くと、中には當時の最新刊『ロゴスの名はロゴス』があつた。本には航空便用の薄い便箋が挾まつてをり、私の疑問にたいし、簡潔だが丁寧な返事が記されてゐた。

ここで手紙の内容を詳らかにする事はできないが、失禮を承知で、私の最大の疑問であつた天皇制度に關する見解だけは紹介したい。呉氏は、きつぱりと次のやうに記してゐた。

天皇制について。民衆(近代國民國家の國民)には必要かもしれない。明治始めに作られたぐらゐだから。しかし、私には不要。(このことは最終的に、賢者・愚民問題にゆきつく)

ここで呉氏の考へにさらに異論を述べる準備はない。むしろ、自戒の意味も込めて、呉氏の遠慮のない發言に反撥するであらう人たちにいつておきたい。呉氏の意見を簡單に却ける事はできない。たとへ知識人でなくとも、西洋近代の平等思想を一度知つてしまつた我々現代日本人は、御先祖樣と異り、天皇の權威を素直に認めることが極めて難しくなつてゐるからである。もう手後れかもしれないのである。その事實に眼を瞑り、安直な「尊皇節」を唱へる事は、知的怠惰に他ならない。

呉氏の手書きの文章は、歴史的假名遣で、漢字は略字體であつた。「正字正假名がいいと思ひますが、書く時は正字は面倒なので正假名のみにしてゐます」。ここにも率直で飾らない性格が表れてゐると思ひ、私は嬉しかつた。同封された本については、「廢棄したオールナイターズのチケット代のつもりです」とあつた。

昔と今とで、呉氏の思想に對する私の考へ方は變つてきた。だが私は今後も呉氏の讀者であり續けるであらう。(了)
(初出「地獄の箴言」2001年4月29日。表現・表記を一部修正)

天皇について、現在では筆者(木村)自身の考へがかなり變はつた。それについては後日書くことにしたい。

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