『図説 ハプスブルク帝国』

加藤雅彦『図説 ハプスブルク帝国河出書房新社、1995年)

図説 ハプスブルク帝国 (河出の図説シリーズ)

民族自決、國民國家、民主主義。これらはそれほどすばらしいものなのか。ハプスブルク帝國の歴史を知るにつれ、疑問がつのる。

ハンガリー生まれの歴史家、フランソワ・フェイトはかう主張してゐるといふ。第一次大戰後、ハプスブルク帝國は「崩潰」したのでも「解體」したのでもなく、戰勝國によつて「破壞」させられたのだ。戰勝國が、少數民族を保護する力のないままに帝國を破壞したのは、犯罪であり、政治的な失策でもあつた。そしてさらに、中歐といふところは、多くの民族が複雜に入り組んでおり、民族自決の原則など適用することなど、もともと不可能だつたのだ、と(p.121-122)。

著者の加藤氏も帝國解體について「はたして賢明な解決であったかどうか、疑問なしとせざるをえない」と書く。かつてハプスブルク帝國の領域だつた東歐では現在、民族紛爭がくすぶり續けてゐる。ハプスブルク帝國は數世紀にわたつて多民族共存のための器としての役割を果たし、共存をより確かなものにするため、言語・行政などでさまざまな試みをつづけたと加藤氏は述べる。「第一次大戦後連合軍がこれを全面的に破壊したことは、複雑きわまる民族分布をもつ帝国の特殊性を、十分に考慮していなかったからである」(p.122)。政治家たちが恣意的に引いた國境線が地獄をもたらしたのだ。

私は福澤諭吉と同じく、理想の政治體制は無政府だと信じるが、次善の體制としては民主制よりも君主制のはうがよいかもしれないと考へてゐる。少なくとも、民主制批判などトンデモだといふ現代の政治的信仰をたやすく受けいれることはできない。さうした意識をもつて讀むと、ハプスブルク帝國の話は一段と面白い。ハプスブルク治下の世紀末ウィーンで絢爛たる藝術・學術が咲き誇つた事實を思ひ起こすだけでも、「君主制はダメ、民主制バンザイ」などと單純に言へないはずだ。市民の自由を束縛する度合ひは民主制よりも君主制のはうが小さいかもしれないのだ。

なほ私が勉強してゐるオーストリア學派經濟學の發祥の地はもちろんオーストリアで、本書にも簡潔に記されてゐる。創始者カール・メンガーは「経済学に心理的要素を導入し、『限界効用』に基づく新しい価値・価格理論を展開した」(p.106)。ただしシュンペーターメンガーの「高弟」と表現してゐるが、シュンペーターが直接師事したのはメンガーの主張を受け繼いだベーム=バヴェルクである。またシュンペーターオーストリア人だが、學問的にはオーストリア學派に含まれない。

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