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『古典で読み解く現代経済』

池田信夫『古典で読み解く現代経済』PHPビジネス新書、2011年)

古典で読み解く現代経済 (PHPビジネス新書)

著者池田氏は「日本で自由主義を根づかせる努力が必要」(p.135)と述べ、自由主義的經濟學者であるハイエクフリードマンを好意的に取り上げてはゐる。しかしそれだけに、自由主義とは對極にあるはずのマルクスへの肩入れが異樣に見える。一章につき一人づつ取り上げた六人の學者のうち、池田氏が一番好きなのはマルクスだとしか思へないほどだ。

池田氏はマルクスの主著『資本論』について、「経済学の本としては読むに堪えない」(p.38)と批判してみせる。だがすかさず「哲学の本としては超一流です」とほめあげ、さらに「デカルト、カント、ヘーゲルと続く西洋哲学の本流」「理論的にソフィスティケイトされている」「これを超える本はなかなか出てこないと思います」と、これでもかと賛辭を浴びせる。

しかしマルクスに限らず、ある經濟學者が唱へる經濟學説と、その哲學とを切り離し、一方は「読むに堪えない」が他方は「超一流」などといふことがありうるだらうか。數學者を兼ねる經濟學者なら「經濟學の本は讀むに堪へないが、數學の業績は超一流」といふことはあるかもしれない。しかし哲學は數學と違ふ。經濟學説の基礎にあり、それと密接にかかはつてゐるはずだ。とりわけマルクスの場合、その經濟學は哲學を拔きに語れる性格のものではあるまい。

おそらく池田氏がマルクスの經濟學をおとしめてみせたのはポーズにすぎず、本心では「超一流」と考へてゐるに違ひない。その證據に、讀み進むにつれ、いつの間にかマルクスの經濟學はすごいといふ話になつてゐる。

どこがすごいか。池田氏によれば、マルクス金融危機の根本的な原因について「鋭い洞察」(p.60)を行つてゐる。不確實性が資本主義の宿命的な弱みであり、これが恐慌の原因だといふ。池田氏はこの説を肯定し、そのうへで、なぜ恐慌が周期的に起こるのかは「いまだによくわからない」(p.58)と言ふ。

しかしこの言ひ分は解せない。恐慌の原因にしても、周期的に起こる理由にしても、ハイエクやその師ミーゼスをはじめとするオーストリア學派が明らかにしてゐるからだ。同學派によれば、恐慌が起こるのは、政府・中央銀行が恣意的にカネの供給量を増やして一時的な好景氣を煽る結果、資源や人材の配分が歪み、そのツケで經濟活動が急速に冷えこむためだ。それでも政府は性懲りもなくマネーの膨脹を繰り返すため、恐慌は何度も訪れる。

ハイエクは好況と不況の繰り返し(景氣循環)にかんする研究を評價され、ノーベル經濟學賞を授けられてゐる。ノーベル賞をとつたからといつて決定的な眞理だなどと言ふつもりはないが、ハイエクに詳しいはずの池田氏がその研究成果にまつたく觸れず、經濟學者としては「読むに堪えない」はずのマルクスの「洞察」ばかりをほめそやすのは、なんとも不自然だ。

池田氏は「金融は自由主義的な経済政策の最大の弱点」(p.203)と言ふが、ハイエクが聞いたら「そんなことはない」とただちに否定するだらう。ハイエクによれば、政府が通貨發行を獨占し、通貨間の競爭と不健全な通貨の淘汰を妨げてゐることこそがバブルや恐慌の原因だからだ。金融危機は資本主義の失敗ではない。政府の失敗なのだ。

池田氏がブログなどで書く政策提言には賛同できるものも少なくないが、根柢に思想的な筋が一本通つてゐないから、自由主義を標榜しつつ、金融危機といふ重大な問題についてマルクスを持ち上げるやうな矛盾を平氣でやらかす。これでは讀者を惑はせるばかりで、「日本で自由主義を根づかせる」ことなどおぼつかないだらう。

(おまけ)池田氏は「グリーンスパン(元米聯銀議長)のリバタリアニズム」(p.203)などと書いてゐるが、これは俗説の最たるものだ。グリーンスパンが作家アイン・ランドのサロンに出入りしてリバタリアニズムに傾倒し、金本位制の擁護を唱へたりしたのは若い頃の話だ。本當に自由放任主義者なら、金利を人爲的に抑へこんだり、經營危機に陷つた金融機關を救濟したりするはずがない。

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