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『デフレの正体』

藻谷浩介『デフレの正体――経済は「人口の波」で動く』角川oneテーマ21、2010年)

デフレの正体  経済は「人口の波」で動く (角川oneテーマ21)

著者紹介欄によると、藻谷氏は「平成合併前の約3200市町村の99.9%、海外59ヶ国を概ね私費で訪問した経験を持つ」といい、現場で得た豐富な情報を賣り物にしてゐるやうだ。また統計に詳しく、本書にも多くのグラフが盛りこまれてゐる。だが本といふものは、どんなに盛りだくさんのデータやエピソードを詰めこんでも、論理的な筋が通つてゐなければ讀むに堪へない。

藻谷氏は「『日銀が金融緩和をして貨幣供給を増やせば物価は上がる』というようなナイーヴなことをおっしゃっても説得力はありません」(183頁)とリフレ論を批判する。それはいいのだが、その後が支離滅裂だ。

話を簡単にするために、「生産しているのは車だけ」という国を考えましょう。〔略〕その国の政府が札をどんどん刷れば、車の叩き売りは行われなくなって販売価格は上がるのでしょうか。答えは、仮に政府が刷ったお札を公共事業か何かでどんどん使って国民にばらまいたとしても、それを受け取った国民が車を買う台数には生産年齢人口減少という制約がかかってくるので(もう車を十分に持っている人は車でなく何か他の製品を買うので)、やっぱり車はそうそう売れないのです。何か他の人気商品の価格は上がり、結果として総合指標である「物価指数」も少しは上がりましょうが、国の主要産業である車産業の製品価格が低迷を続ける事態には何ら変わりがありません。(184頁)

まづ誰が見てもをかしいのは、「生産しているのは車だけ」と假定したはずなのに、なぜか「他の製品」や「他の人気商品」が登場することだ。公共事業にしても、鐵筋もセメントも生産されないのでは、やるのは無理だらう。さらにをかしいのは、政府が札を刷つた結果として、物價指數が「少しは上が」ると認めてゐることだ。それなら「日銀が金融緩和をして貨幣供給を増やせば物価は上がる」といふリフレ論者の主張は正しく、それを「ナイーヴ」と馬鹿にした藻谷氏のはうが間違つてゐたことになる。

不況を脱出するために札をどんどん刷れといふリフレ論には私も反對だが、藻谷氏の批判はあまりにもお粗末すぎる。日銀の金融緩和にもかかはらずこれまでインフレ(物價上昇)が起こらなかつたからといつて、今後も起こらないといふことにはならない。物價は貨幣と物の相對的な量によつて決まる。貨幣の供給ペースが物の供給ペースを下囘つてゐるうちは物價上昇は起こらないが、上囘ると、藻谷氏も認めざるをえないやうに、物價は上昇するのだ。

それにしても異樣なのは、カネを貯めこんで消費しない高齢富裕層にたいするほとんど憎惡を感じさせる非難だ。

多くが高齢者である投資家はさらに投資額を増やすことばかりに関心があって、豪邸一軒、車一台新たには買いません。(148頁)

この高齢富裕層ときたら、〔略〕筋金入りのウォンツ欠如、貯蓄=将来の医療福祉負担の先買い死守、というマインドの連中ですよ。(183頁)

もう一歩進んで、高齢者が死蔵している貯蓄を積極的に取りに行く、つまり高齢者にモノやサービスを買わせるということを、戦略的に追求することも可能ではないでしょうか。〔略〕何か「これは決して無駄遣いではない」という言い訳さえ与えてもらえれば、モノを喜んで買いに走るわけです。(214-215頁)

藻谷氏から見れば、金持ちのくせに豪邸や高級車を買はず、カネを「死蔵」する年寄りは人でなしも同然らしい。もし私が高齢富裕者なら、將來の不安に備へて貯蓄しただけで「連中」呼ばはりされてはたまらないし、犬や猫ではあるまいし、「モノを喜んで買いに走る」などと言はれて良い氣持ちはしない。

藻谷氏は本書でリフレ論を批判したために、リフレ派から非難を浴びたが、藻谷氏もリフレ派も本質的には同じ思想を抱いてゐる。それは一言でいへば「消費至上主義」だ。だから藻谷氏が提案する「対処策」も、相續税の課税強化で高齢富裕層から若者への生前贈與を促し、カネを使はせるといふ、リフレ派と變はらぬものになつてゐる。
デフレの神話――リバタリアンの書評集 2010-12〈経済編〉 (自由叢書)
貯蓄を敵視する消費至上主義の本家はケインズで、金利生活者は「安樂死」すべきだとまで書いてゐる。だが貯蓄は經濟發展の基礎であり、目先の消費ばかりを奬勵する政策は長い目で經濟を破壞する。ベストセラーとなつた本書は殘念ながら、經濟にたいする讀者の理解を歪め、經濟破壞の片棒を擔ぐものでしかない。

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