ハゲタカに氣をつけろ(J・S・ミル)

社会には無数の禿鷹(ハゲタカ)がいるので、弱い立場の人が襲われないようにするには、とりわけ強い猛禽(もうきん)がいて、禿鷹を押さえつける役割を担っていなければならない。だが、禿鷹の王もやはり禿鷹であり、弱いものを餌食にしようとすることに変わりはないので、その嘴(くちばし)と爪にいつも警戒しておく必要があった。このため国を愛し、国民の自由を大切にする人たちは、支配者が国民に対して行使できる権力を制限しようとつとめてきた。そしてこの制限が、自由という言葉の意味であった。


ジョン・スチュアート・ミル『自由論』(山岡洋一譯、日経BP社、2011年)10−11頁より。原著(On Liberty)は1859年刊。「日経BPラシックス」は自由主義の古典を多く含む好シリーズだが、困つたことに、卷末の「解説」に、本文の趣旨を臺無しにしてしまふものがある。『世界一シンプルな経済学』では、著者ハズリットがインフレ政策を嚴しく攻撃してゐることにたいし、インフレ論者の若田部昌澄早大教授が「時代を感じさせる」「そのまま受け取ることには注意が必要」などと書き、十二頁ある解説のうち、なんと五頁も費やして、批判してゐる。これではまるで「讀む價値はあまりない」と言つてゐるやうなものだ。

さてシリーズ最新刊である『自由論』の解説は、佐藤光大阪市立大教授が書いてゐる。佐藤氏といへば、ハイエクを「隠れ保守主義者」などと呼ぶ評論家、西部邁(元東大教授)の弟子だから、名前を見た瞬間に嫌な豫感がしたが、恐れたとほりだつた。

佐藤氏は言ふ。「ミルは〔略〕政治への積極的参加を通じた人間完成を理想とした、古代ギリシア以来の政治的伝統に無縁ではなかったということもできるだろう」。これは無理がある。なぜなら冒頭に掲げた引用にあるとほり、ミルは政府のことを、せいぜい「禿鷹の王」(king of the vultures)としか見てゐないからだ。最近ではマイケル・サンデルにみられるやうに、政治をさも高貴な行爲であるかのやうに美化する思想は西洋にたしかに存在するが、少なくともミルのこの見解からは、禿鷹ごときの仕事に積極參加することが「人間完成」につながるはずがない。

また佐藤氏は現代の一般市民について「自分も権力者の一人であることを忘れ、『権力者』のわら人形を仕立てて血祭りに上げ」云々と書く。しかし選舉權をもつだけのたんなる有權者を、權力者と同一視するのはをかしい。もし普通の市民が「権力者の一人」であるならば、政府といふ禿鷹を警戒する必要などないはずだ。ミル自身、別の箇所で民主主義國家についてはつきりとかう書いてゐる。「権力を行使する『国民』は、権力を行使される国民と同じだとはかぎらない」(15頁)

中東で戰火が絶えないのは、イスラエルパレスチナ人との間に西洋流の對話が成立しないからだといふ佐藤氏の見方も誤りだ。中東戰爭が始まつたのは、イスラエルといふ國家が無理な形で建設された1940年代であり、それまでは民族間の大量殺戮などなかつた。もし佐藤氏が言ふやうに、爭ひの原因が文化の違ひにあるのなら、もつと早くから紛爭が起こつてゐたはずだ。戰爭とは「文明の衝突」などではなく、政府といふ禿鷹が外に向かつて本性をあらはにした繩張り爭ひなのだ。
日経BPクラシックス 自由論 (日経BPクラシックス)
以前、外資投資ファンドを「ハゲタカ」とさげすんで呼ぶテレビドラマがあつた。ミルは晩年、社會民主主義的な傾向を強めたが、『自由論』においては、本當の「ハゲタカ」が資本主義でなく、政府であることを理解してゐた。的外れの解説などに惑はされず、味讀したい古典だ。

英語原文

To prevent the weaker members of the community from being preyed upon by innumerable vultures, it was needful that there should be an animal of prey stronger than the rest, commissioned to keep them down. But as the king of the vultures would be no less bent upon preying on the flock than any of the minor harpies, it was indispensable to be in a perpetual attitude of defence against his beak and claws. The aim, therefore, of patriots was to set limits to the power which the ruler should be suffered to exercise over the community; and this limitation was what they meant by liberty.

ウェブサイト The Online Library of Liberty は、自由主義の古典から撰んだ名言を多く掲載してゐる。今後しばらく、「自由の名言」としてそれらを自己流に紹介してゆきたい。

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