読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

民主主義をあがめるな(サムナー)

悪徳や激怒が特定の階級だけのものだとか、自由とは貴族や聖職者から権力を奪い取って、それを職人や農夫に与えることのみにあるとか、職人や農夫なら権力を濫用することはないとか考えるのは、何という愚劣でしょう!


ウィリアム・グラハム・サムナー「忘れられた人」(後藤昭次譯『アメリカ古典文庫18 社会進化論 』〔研究社、1975年〕所収)より。ノーベル賞の季節がやつてきた。10月7日に發表される平和賞は、中東各地で相次いだ民主化運動「アラブの春」に貢獻した關係者が有力視されてゐるといふ。長年續いた獨裁政治を一般市民が一氣に覆したのは歴史的事件であり、受賞候補となるのは當然だらう。

しかし手放しで喜ぶわけにはいかない。それは多くの論者が指摘するやうな、民主的な新體制への移行が圓滑に進まないのではないかとか、内戰状態が長引くのではないかといつた懸念からではない。民主主義を無條件に素晴しいものだとする現代の政治的信仰が、さらに強まりはしないかと恐れるからだ。

米國の社會學者、ウィリアム・グラハム・サムナーは1883年に行つた講演「忘れられた人」で、政治的に虐げられてきた人々に權力を與へれば、それで問題は改善するといふ樂觀的發想を批判した。「貪欲、利己心、嫉妬、悪意、欲望、復讐心は人間性につきものの悪」であり、「世界のいくつかの階級とか国民とか、特定の時代に限定できるものではありません」。だから職人や農夫のやうな、政治的に虐げられてきた人々といへども、いつたん權力を手にすれば「他の人たちとまったく同じように権力を濫用するでしょう」。

サムナーが指摘するとほり、虐げられてきた人々が權力を手にしたとたん、同じやうな殘虐さで他人を虐げるといふ皮肉な悲劇は歴史上數多い。最近の例の一つは、アパルトヘイト(人種隔離政策)廢止後の南アフリカだ。同國出身のイレーナ・マーサーによると、同國ではアパルトヘイト廢止後、白人を標的とする兇惡犯罪が頻發してをり、その背景には、過去に白人が犯した人種差別の罪を償はせるといふ考へがある。とりわけ農場主が殺される例が多いが、犯人が逮捕され、有罪判決を受けることはほとんどない。主が殺され不在となつた農場の大半は、荒れたまま放置されてゐるといふ。

アパルトヘイト廢止後、殺人事件の年間發生率は三・五倍になつた。強姦事件は年間五萬二千件以上にも達する。強姦被害者の十パーセントを子供が占めるが、これは處女との性行爲によつてエイズが治るといふ迷信の影響らしい。犯罪がすべて白人に對する報復とは限らないかもしれない。しかしマーサーの著書紹介した文章で、リバタリアンの經濟史家、トーマス・ディロレンゾが次のやうに強調するとき、それが正しいことは間違ひない。「生命、自由、財産の擁護を重視する文化がともなつてゐなければ、民主主義はまつたく好ましくない」

Into the Cannibal's Pot: Lessons for America from Post-Apartheid South Africa

サムナーも、人間の惡は「独裁政治にも、神権政治にも、貴族制にも、民主制にも、暴民政治にも同じようにあります」と喝破してゐる。だれが權力を握らうと、「権利がいっさいの濫用を避けられるという保障がないかぎり、市民的自由はどこにもありません」。民主主義は權力の保持者を決めるルールの一つにすぎず、神聖視するのは間違つてゐる。社會にとつて肝腎なのは、權力そのものを制限することだ。

原文

But what folly it is to think that vice and passion are limited by classes, that liberty consists only in taking power away from nobles and priests and giving it to artisans and peasants and that these latter will never abuse it!

<こちらもどうぞ>