差別ですが、それが何か?

はるな檸檬のマンガ『ZUCCAxZUCA(ヅッカヅカ)』(講談社)の第2卷が出た。熱狂的な寶塚歌劇團ファン、いはゆる「ヅカヲタ」たちのしあはせな日常を描いて爆笑を誘ふこと、他の追隨を許さない。いや、追隨も何も、寶塚ファンのことばかり描いたマンガなど、史上初だらう。
ZUCCA×ZUCA(2) (KCデラックス モーニング)
第2卷でとくに気に入つた話(90頁)を紹介しよう。男の子から「テレビ見よー」とせがまれたママ。「ちょっと待ってー、ママやることいっぱいで大変なのよ〜」と臺所で背中を向けたまま忙しさうに答へるが、ここでヅカヲタの血が騒いだらしく、急に芝居がかつた口調でいはく、「……でも、それが女王としての試練ならば、わたくしはどんなことにも耐えてみせます」「マリー・アントワネットはっ、フランスの女王なのですからっ!!」。私は寶塚を一度も觀たことがないが、これが「ベルサイユのばら」の臺詞だといふことくらゐ想像がつく。振り向くと、いつの間にかソファーで眠つてゐる男の子。一瞬アントワネットになりきつてゐたママは母親の日常に戻り、そつとタオルケットを掛けてやる。

ところでよく知られてゐるやうに、寶塚歌劇團は未婚の女性だけで構成されてをり、男の入團は許されてゐない。これは男性差別ではないのだらうか。女が相撲の土俵に上がれないのは差別だと騒ぎになつたこともあつたし、女が歌舞伎役者になれないのは女性差別だといふ意見もあるやに聞く。近頃はたくましい「肉食系女子」が力を増す一方で、か弱い「草食系男子」が増えてゐるといはれるだけに、寶塚が男性差別の象徴として男から指彈される日も遠くはないのではなからうか。實際、反差別政策で日本の一歩先を行く北歐ではつい先日、ホテルが女性專用フロアを設けたところ、これは男性差別だと騒ぎになり、獨立機關「男女同權委員會」によつて違法と結論づけられたといふ。

かういふ話になるとたいてい出てくる生ぬるい反論は、「これは差別ではない」といふものだ。たとへば靈場について、女人禁制を擁護する側が「男性の修驗者が性慾に惑はされることなく修行するため」とその目的を説明し、したがつて「男尊女卑などの差別を推進する意圖はない」と主張する。だがこの言ひ分は苦しい。性慾を刺戟しないやうな工夫ならいくらでも可能だらうし、女を差別する意圖がないから差別でないと言はれても、女の側からみれば現實にやりたいことができないからこそ、差別なのだ。「差別は區別と違ふ」といふ言葉もよく聞くが、さう明確に分けられるものではない。

このやうに議論が混亂するのは、私たちが「差別は惡い」といふ現代の政治的イデオロギーにとらはれてゐるからだ。評論家の呉智英氏はこのイデオロギーを打破するヒントを儒教や佛教などの東洋思想に見いださうとしてゐるが、西洋思想のある種の極北であるアナルコ・キャピタリズム(無政府資本主義)にもその鍵は潛んでゐる。

米國の經濟學者で無政府資本主義者のウォルター・ブロックは『差別肯定論』(2010、未邦譯)でかう述べる。人間はどのやうな條件であれ、お互ひに合意できるのであれば、それにもとづいて自發的に附き合ふ權利を持つべきである。他人にはどれだけ不快に見えようとも、偏見に凝り固まることは許容されなければならない。

それでは雇ひ主が女性差別者だつた場合、たんに「俺は女が嫌ひだ」といふ理由で雇傭を拒否することを許すのか。驚くかもしれないが、ブロックの答へはイエスだ。「自由に交際する權利(right of free association)は、雇ひ主であれ他の誰であれ、民族、性別その他の基準にもとづいて勞働者の雇傭を強制する政策とは、決して相容れない」からだ。

すると女性や人種的マイノリティは經濟的な苦しみを強いられるのではないか。ブロックの今度の答へはノーだ。考へてみるがよい。男しか雇はないか、女を雇つても時給六ドルより多く拂はうとしない女性差別者に比べ、たとへば女を六ドル二十五セントや六ドル五十セント、あるいは七ドルで雇ひ始めた人物は、人材獲得の競爭上きはめて有利になる。他の條件が同じなら差別主義者は破産するだらうから、そのやうな差別待遇は民間ではほとんど起こらないだらう。

むしろ差別の弊害が蔓延するとしたら公的部門だとブロックは指摘する。米國公民權運動のきつかけとなつたことで有名なモンゴメリー・バス・ボイコット事件の舞臺は市營バスだつた。ブロックは言ふ。

バスは公營で、補助されてをり、競爭は許されてゐなかつた。その結果、大規模なデモによつて、黒人はバスの後部坐席に坐るといふルールがつひに變更されるまで、黒人は長年差別に苦しまなければならなかつた。もし自由な市場で、黒人がバスの後部坐席だけに坐るやう命じられたならば、他のバス會社が設立され、黒人顧客を有利な立場で獲得したことだらう。

どんな理由であれ好きな相手と附き合ふ自由があるのならば、どんな理由であれ敬遠したい相手と附き合はない自由もあるはずだ。「人間は誰でも、避けたい相手を無視し、排斥し、差別する權利がある」とブロックは斷言してゐる。そして自由な市場經濟は、差別そのものをなくすことはできないかもしれないが、少なくとも差別につきものの經濟的痛手を輕くすることができる。

個人(個人の集團を含む)の自由にもとづく差別であれば、それを堂々と肯定する立場に立つてこそ、男子禁制や女子禁制も有效に擁護しうる。近代日本屈指のアントレプレナーであつた小林一三が創設した寶塚歌劇團。その榮譽ある「男性差別」がとこしへに續くことを願ひたい。

<こちらもどうぞ>