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【飜譯】ハリー・トルーマンと原爆(ライコ)


ラルフ・ライコ
(2010年11月24日)
Harry Truman and the Atomic Bomb - Ralph Raico - Mises Daily
ハリー・トルーマンの米大統領任期中もつとも鮮烈な出來事は、決して忘れられることはないだらうし、トルーマンの名と永遠に切り離せないだらう。すなはち、1945年8月6日の廣島と三日後の長崎への原子爆彈投下である。おそらく約二十萬人が爆撃と放射線障碍で死んだ。大部分は一般市民であり、數千人の朝鮮人勞働者も含まれてゐた。米海軍の爆撃機乘組員十二人が廣島で捕虜として拘留されてゐたが、やはり死亡した。
ヒロシマ
原爆投下はつねに大きな論爭の種となつてきた。トルーマンが當初から主張したのは、原爆使用の決定とそれにともなふ責任は自分自身にあるといふことだ。年月がたつにつれ、決定の根據について異なつて矛盾した説明をするやうになつた。單に復讐のために行動したとほのめかすこともあつた。ある聖職者から批判され、トルーマンはいらだたしさうにかう答へた。
原爆の使用について私ほど心をかき亂した者はゐない。だが日本の不當な眞珠灣攻撃や捕虜の殺害にも大きく心をかき亂した。日本人に物事をわからせることができさうな方法は、爆彈投下しかなかつた。
だが日本軍がいくら殘虐だつたとしても、それで無辜の男女や子供に死で報いることが正當化されると考へないかぎり、こんな論法は納得できるものではない。トルーマンも明らかにそれに氣づいてをり、それでたびたび他の口實をもちだした。1945年8月9日、かう述べた。「原爆を初めて落としたのは廣島といふ軍事基地である。できるだけ市民の犠牲を避けたかつたからだ」

しかしこの發言は馬鹿げてゐる。眞珠灣は軍事基地だつた。廣島は都市であり、およそ三十萬人が住んでゐた。軍事施設はあつたが、廣島港には機雷が投下され、米海空軍が日本周邊で制海權を握つてゐたので、どのみち廣島にゐる軍隊は事實上制壓されたも同然だつた。

他の機會にトルーマンが主張したのは、廣島への原爆投下はそこが産業の中核だつたからといふものだ。だが米政府の戰略爆撃調査が記してゐるやうに、「廣島の主要工場はすべて郊外にあり――深刻な被害を免れた」。標的は市の中心部だつた。トルーマンが原爆犠牲者の實態を知つてゐたことは、8月10日の閣議での發言に明らかである。トルーマンは三囘目の原爆投下に乘り氣でない理由をかう説明した。「さらに十萬人をみな殺しにするかと思ふとぞつとする」。トルーマンは「子供たちすべて」を殺すといふ考へを好まなかつた。さらに十萬人をみな殺しにし……子供たちすべてを殺すといふ考へを。
さらにいへば、廣島が軍事・産業の主要な中核だつたといふ主張は、そもそも一見してあやしい。破壞的な本土空襲が何年も續いたにもかかはらず、廣島は無傷のままだつたし、爆撃指令のリストにある三十三カ所の主要標的にも含まれてゐなかつたのである。

かうして原爆投下の理由づけとなつたのは、壯大なでつちあげである。このつくり話は意外にも廣く流布することになる。すなはち、原爆投下は五十萬人かそれ以上の米國人の生命を救ふために必要だつたといふものだ。12月に計劃されてゐた九州侵攻と、もし必要ならおこなはれるはずだつた翌年の本州全面侵攻で、それだけの生命が失はれてゐたはずだといふ。だが最惡のシナリオでも、本土全面侵攻にともなふ米軍側の犠牲者數は四萬六千人であつた。非常識なほど水増しされた五十萬人といふ死亡者數(第二次世界大戰の全戰域における米軍死亡者數合計の二倍近く)は、いまや高校・大學の教科書があたり前のやうに繰り返し、無智な評論家が言ひ觸らす。意外ではないが、愚かそのものといふべき死者數の水増しで最優秀賞に輝くのはジョージ・H・W・ブッシュ大統領〔父〕である。ブッシュ大統領は1991年、原爆投下は「百萬人の米國人の生命を救つた」と主張したのである。

それでもトルーマンが嘘や自己欺瞞を重ねたことは、やつてのけた所業の恐ろしさを考へればもつともなことだ。同じやうにもつともだと思はれるのは、米占領當局が潰滅状態となつた廣島からの報道を檢閲し、何千もの遺體やすさまじい傷を負つた生存者の映像や冩眞が一般の目に觸れないやうにしたことである。さもなければ米國人は――それ以外の世界の人々も――憂慮すべきことに、廣島の光景を當時明らかになり始めたナチスの強制收容所と比べたかもしれなかつた。

原爆投下は野蠻で不必要な行爲として、アイゼンハワーマッカーサーら米軍幹部から非難されたトルーマン自身の參謀長として仕へたウィリアム・リーヒ海軍大將の見解はその典型である。


廣島と長崎でこの野蠻な兵器を使つたことは對日戰で何の重要な助けにもならなかつた。……あれを初めて使つたことにより、われわれが野蠻な暗黒時代竝みの倫理基準を選んでしまつた氣分だつた。あんな風に戰爭をやれとは教はらなかつたし、女子供を殺すやうでは戰爭に勝利したとは言へない。
原爆投下に關與した政治エリートたちは、戰前の忌まはしい「孤立主義」が反動の助けを借りて復活するのを恐れた。國民が胸の惡くなるやうな戰爭犯罪にうんざりし、對外干渉政策への熱狂に水を差しては一大事とばかり、原爆擁護論が論壇にあふれた。心配御無用。潮目が變はり、米國人の態度が一變したのである。それ以來ずつと、何度調査しても、大多數の人々はトルーマンを支持してをり、原爆は戰爭を終はらせ何十萬人もの米國人の生命を救ふために必要だつたと信じてゐる。もつとよくある態度は、まともに關心を拂つてゐないといふものだ。
原爆投下決断の内幕〈上〉―悲劇のヒロシマナガサキ

原爆投下決断の内幕〈上〉―悲劇のヒロシマナガサキ

さうしたおぞましい費用便益分析(罪のない日本人と聯合軍兵士の生命とをはかりにかけること)をまだ眞に受けてゐる人は、カトリック哲學者、エリザベス・アンスコムの判斷についてじつくり考へてみるがよい。アンスコムは道徳的ルールが何よりも大切であると強調した。1956年6月、勤務するオックスフォード大學がトルーマンに名譽學位を授與したとき、アンスコムはこれに抗議し、かう主張した。トルーマンは戰爭犯罪人である。廣島と長崎でやつたやうに空から市民を大量虐殺した米國政府と、チェコポーランドの村で住民をみな殺しにしたナチスとのあひだに、どんな違ひがあるといふのか。

アンスコムの指摘は熟考に値する。かりに1945年初め、米國がドイツに侵攻した際、米國の首腦らがアーヘンかトリーア、あるいはラインラント地方の他の都市の住民をみな殺しにすればドイツ人の士氣を完全にくじき、降伏に追ひこめると信じたとしよう。さうすれば戰爭は早く終はり、多數の聯合國軍兵士の生命を救へるかもしれない。もしさうなら、女性や子供を含む何萬人ものドイツ市民を撃つことは正當化されるだらうか。だがそれは原爆投下とどこが違ふといふのだらうか。

1945年初夏、日本は敗北を十分覺悟してゐた。にもかかはらずなぜ戰ひ續けたのだらうか。アンスコムが書いてゐるやうに、「無條件降伏を強要したことこそ、諸惡の根源だつた」。

無條件降伏の強要といふ、正氣を疑ふやうな方針は、カサブランカ會談でローズヴェルト〔米大統領〕が提案し、これにチャーチル〔英首相〕が熱狂的に賛同して、聯合國のスローガンとなつた。このスローガンのせゐで歐州では戰爭が長引いたが、その後今度は太平洋戰線で同じ役割を果たした。1945年7月のポツダム會談で、トルーマンは日本に宣言を發し、無條件降伏をしなければ「完全なる潰滅」に至るだらうと脅かした。聯合國が示した條件は「他に選擇肢はない」ものとされ、その中に「日本國國民を欺瞞し世界征服の舉に出る過誤を犯させた者の權力および勢力は永久に除去されなければならない」とあつた。またかう警告されてゐた。「一切の戰爭犯罪人に對し嚴重なる處罰を加へなければならない」

日本人にとつて、これは天皇(日本では神聖な存在で、太陽の女神である天照大神の直系の子孫とみなされてゐた)が間違ひなく退位させられ、おそらく戰犯として裁かれ、皇居の前で處刑されることを意味した。實際には、天皇を退位させたり處罰したりする意圖は米國にはなかつた。だが無條件降伏の意味をこのやうに暗默のうちに修正したことは、日本には決して傳へられなかつた。結局、長崎への原爆投下の後、米國政府は日本の要望に應じ、皇室の存續ばかりか、裕仁天皇の位にとどめることまで認めたのである。

數カ月前、トルーマンは多くの政府高官や野黨側から、米國の立場を明確にするやう求められた。1945年5月、トルーマンの要請に応じ、ハーバート・フーヴァー〔元大統領〕は覺書を用意し、戰爭を一刻も早く終はらせなければならないと強調した。これで日本は、米國天皇制や政治體制に介入するつもりはないと受けとつたに違ひない。さらにフーヴァーは停戰條件の一つとして、日本に臺灣と朝鮮の領有を引き續き認める可能性にまで言及したのである。フーヴァートルーマンと會見した後、タフト〔上院議員〕ら共和黨幹部と會食し、提案の要點を説明した。

體制派の物書きは、第二次世界大戰についていまはしい想像をたくましくするのが大好きだ。たとへば、もし米國が參戰してゐなければ、ヒトラーが「世界を征服」し(ソ聯軍の力をひどく過小評價してゐることはおわかりだらう。それに、「世界を征服」しようとしてゐたのは日本ではなかつたのか)、何百萬人も殺しただらうといふ。では、これにならつて想像上の歴史について考へてみよう。かりに太平洋戰爭が慣習にしたがひ、降伏條件の交渉を通じて終結したとしよう。そして最惡のケースを想定してみよう。すなはち日本が厚かましくも帝國の一部、たとへば朝鮮と臺灣、ついでに滿洲まで、領有し續けることを主張したとしよう。もしさうなつてゐたら、きはめてありうるのは、その後シナで共産黨が權力を握るのを日本が防げたかもしれないといふことだ。これが意味するのは、いまでは毛澤東體制の仕業とされてゐる三千萬人から四千萬人もの人々の死は起こらなかつただらうといふことである。
毛沢東の大飢饉  史上最も悲惨で破壊的な人災 1958?1962
だが1945年に實現可能な外交手段が限られてゐたとしても、トルーマンが原爆を使はずに戰爭を終はらせる手段を盡くしてゐなかつたことは明らかである。日本は、それまで發明された中で飛び拔けて殺傷能力の高い兵器(トルーマン廣島爆撃の聲明で誇らしげに語つたやうに、使用された爆彈として史上最大だつた英國の「グランドスラム」の二千倍以上の爆發力をもつ)の犠牲になるとは知らされてゐなかつた。ソ聯が日本に宣戰布告するつもりだとも言はれてゐなかつた。これは日本の政府關係者が爆撃以上に衝撃を受けたことである。原爆計劃にかかはつた科學者の中に、原爆の威力は人の住んでゐないか避難した後の地域で示してはと歎願する者もあつたが、聞き入れられなかつた。重要なのは、無條件降伏の方針を表向き崩さないことと、日本に無條件降伏を強いることによつて失はれるかもしれない兵士の生命を救ふことだけだつた。だが二十世紀最大の戰史家の一人であるJ・F・C・フラー英陸軍少將は原爆投下に關聯してかう書いてゐる。


生命を救ふことは稱賛に値するが、人道上の戒めや戰爭の慣習にことごとく背くやうな手段をとることは、決して正當化できない。もしそんなことができるなら、終戰を早め、生命を救ふためといふ口實で、およそ想像しうる殘虐非道な行爲をすべて正當化できるだらう。
これはまぎれもない眞理ではないだらうか。だからこそ理性と人道をわきまへた人間は、何世代もかけて、戰爭のルールをそもそも築いてきたのではなかつたらうか。
フラー 制限戦争指導論
マスコミは政府の説明をオウム返しにして、原爆で人間を燒き盡したことをほめたたへるが、卓越した保守主義者は原爆投下を筆舌に盡くしがたい戰爭犯罪として非難してゐる。憲法學者で「ヒューマン・イベンツ」誌創刊者の一人、フェリックス・モーリーは、「何千人もの子供が三十三の壞れた學校に閉ぢ込められた」といふ廣島の慘事に目を向けた。モーリーは同胞がみづからの名のもとになされた行爲の償ひをするやう呼びかけ、米國人を集團で廣島に送るやう提言した。ちやうどドイツでナチスの強制收容所見學が義務づけられてゐるやうにである。

パウロ會の聖職者で、「カトリック・ワールド」誌編輯人のジェームズ・ギリス神父をはじめとする熱心なオールドライトは原爆投下を酷評し、「キリスト教文明と道徳の法に對しこれまでなされた最も強力な一撃」と呼んだ。USニュース・アンド・ワールドリポート誌發行人で保守主義者のデヴィッド・ローレンスは、原爆投下を何年にもわたり非難しつづけた。著名な保守主義哲學者、リチャード・ウィーヴァーは次のやうな事實に直面してぞつとしたと書いてゐる。


カンザスやテキサスを出たばかりの若者が、軍事施設のないドレスデンを〔爆撃で〕潰滅させた。……モンテ・カッシーノニュルンベルクで古い寺院を粉々にし、原爆で廣島と長崎を燒き滅ぼした。
ウィーヴァーは、そのやうな非道は「文明の基礎にとつて有害」だとみなしてゐる。

今日の自稱保守主義者らは、トルーマンが何萬人もの罪もない日本人を空から虐殺したことにだれかが少しでも疑義を呈しようものなら、「反米」だと誹謗する。今日の「保守主義者」と、かつてその名にふさはしかつた人々とがいかに異なつてゐるか、この事實からだけでもわからうといふものだ。

レオ・シラードは世界的に有名な物理學者で、アインシュタインが署名して〔原爆開發の〕マンハッタン計劃をローズヴェルトに促した手紙は、シラードが草稿を書いたものである。死期の迫つた1960年、シラードはフラーと同じやうに、まぎれもない眞理をかう述べた。


もし都市に原爆を落としたのが米國でなくドイツだつたら、私たちはそれを戰爭犯罪と定義し、罪を犯したドイツ人にニュルンベルク裁判で死刑の判決を下し、絞首刑に處したことだらう。
廣島と長崎の破壞は、東京とマニラの軍事裁判で處刑された日本の將軍たちが犯したどの戰爭犯罪よりも惡質だつた。もしハリー・トルーマンが戰爭犯罪人でないならば、戰爭犯罪人などだれもゐないことになる。

(筆者は米ニューヨーク州立大學バッファロー校名譽教授、ミーゼス研究所上級研究員。專門は歐州思想史)


譯者のひとこと>日本で「戰爭犯罪」といふ言葉はひどく誤用されてゐる。たとへばプロ野球で、あるチームが負けると、スポーツ紙に「A級戰犯は誰々」といふ見出しが載る。もののたとへで、試合に負けた責任者を戰爭犯罪人(戰犯)と呼んでゐるわけだ。だが戰爭犯罪かどうかは戰爭の勝ち負けと關係ない。本文にあるやうに、戰爭における殘虐行爲を最小限にとどめるため形成されてきた「戰爭のルール」を破つたかどうかが問題なのだ。だからたとへ戰勝國であつても、戰爭犯罪を犯すことはありうる。そしてトルーマンによる二度の原爆投下こそ史上最惡の戰爭犯罪であると、リバタリアンの歴史家で米國人でもあるライコは糺彈するのである。これは一見「反米」的意見のやうだが、決してリバタリアンや左翼だけの考へでなく、ライコが紹介してゐるやうに、心ある米國保守主義者もかつては同樣だつたのである。いまや日本でも「保守主義者」の多くが核武裝を主張してゐるが、人間が何世代もかけて築いてきた道徳的ルールを踏みにじることが「保守」だとは、矛盾も甚だしい。
(初出:Free Market Forum Japan

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