『新ナニワ金融道』と惡法の問ひ

ナニワ金融道』のマンガ家、青木雄二が死去して今年で九年になる。青木が副業のエッセイなどでマルクス共産主義を持ち上げるのには辟易したが、本業の『ナニワ金融道』はそんな政治的イデオロギーを感じさせず、貸金業の裏面を生々しく描いて文句なしに面白かつた。現在、青木の仕事を引き繼いだ青木雄二プロダクションが續篇『新ナニワ金融道』を「週間SPA!」に連載し、ファンを喜ばせてゐる。とりわけ單行本の直近刊である11、12卷では、愛讀者にはおなじみの帝国金融社長、金畑金三の少年時代が描かれ、出色の面白さである。
新ナニワ金融道(11) (SPA!コミックス) (SPA COMICS)
舞臺は終戰まもない大阪の街。十六歳の金三は父親が失踪し、病弱な母と幼い妹を養ふため晝夜ぶつ通しで働く毎日である。あるとき同い年の在日朝鮮人、朴正男と親しくなり、同胞らで構成する盜掘集團、アパッチ族に加はるやう誘はれる。砲兵工廠(官營軍需工場)跡地に埋もれたままになつてゐる鐵をひそかに掘り起こし、賣つて金にするのがアパッチ族の生業だつた。

在日朝鮮人が集團で「犯罪」に手を染めるといふ、主流マンガ誌でタブーとされてきた事柄が正面から描かれてをり、平板な差別論に再考を促す作品として、評論家の呉智英氏が言ふとほり「瞠目」(フリースタイル17号特集「THE BEST MANGA 2012 このマンガを読め!」)に値する。だがこの物語は、別の重要な問ひを投げかけてもゐる。それは「惡法は法か」といふ有名な問ひである。
フリースタイル17 特集:THE BEST MANGA 2012 このマンガを読め!
11卷にはこの問ひについて考へさせるエピソードがいくつか出てくる。まづ闇市で人々が米や芋を買ひ込んでゐると、警官が乘り込んできてかう叫ぶ。「配給以外の買い物は食料統制法違反になるんやで!」(25頁)。これは正しくは食統制法で、不足した食糧を國民に平等に行き渡らせるためとして自由な賣買を禁じたものだが、配給される食糧はきはめて少なかつた。裁判官の山口良忠がこの法律を守るため闇米を拒否して配給食糧のみを食べつづけ、榮養失調で死亡したことはよく知られる。

山口裁判官は遺書でかう書いた。「食糧統制法は悪法だ、しかし法律としてある以上、国民は絶対にこれに服従せねばならない」「自分は平常ソクラテスが悪法だとは知りつつもその法律のためにいさぎよく刑に服した精神に敬服している」。私たちは山口裁判官やソクラテスのやうに、惡法でもそれを法として遵守し、死ぬべきだらうか。

また朝鮮人聚落は家庭でドブロクを作り賣つてゐたことから、密造酒製造・販賣のかどで警察の家宅搜索を受ける。朝鮮人のをばさんらは「飯の種取り上げられたら生活出来ひんわ!」「ウチらがドブロク作って誰が困るんや」と抗議し、酒を沒收する警官につかみかかるが、警官は「じゃかましい、酒税法違反やないか!!」と突き飛ばす(143頁)。今でも自家製のビールや果實酒などを同居家族以外の他人に振る舞ふと、有償・無償にかかはらず酒税法違反に問はれる。これがもし惡法でも法として、私たちはおとなしく罰を受けるべきだらうか。

いづれの場合も作品に込められたメッセージは明らかである。惡法は法ではない。したがつて守らなくてよい。

そのメッセージは正しいと私は考へる。他人の權利を侵害しない限り、食糧を賣買するのも酒を製造・販賣するのも個人の自由であり、政府がそれを禁ずるのは不當である。もちろん自家製梅酒の沒收に抵抗して公務執行妨碍罪で逮捕されるくらゐなら、ぢつと我慢するはうが現實的だらう。しかしそれはあくまで自分が折れてやつたのであつて、政府の行爲が不當であることに變はりはない。

スペインのリバタリアン經濟學者、ヘスス・ウエルタ・デ・ソトが指摘するやうに、餓死した山口裁判官が尊敬してゐたソクラテスは不適切にも、政府が制定する人定法(positive law)と理性を基礎とする自然法(natural law)とを區別しなかつた。正しい法は自然法であり、それに反する人定法は法と呼ぶに値しない。ソクラテスの誤つた思想の犠牲になつた山口裁判官には酷かもしれないが、「法律守ってたら飢え死にします!! 配給だけで足りる訳おまへんやろ!!」(25頁)と警官に食つてかかる『新ナニ金』の闇市客のはうが、はるかに健全な法感覺を持つてゐる。
不道徳な経済学──擁護できないものを擁護する (講談社+α文庫)
最後に、それでは砲兵工廠跡地から勝手に鐵を掘り出して自分のものにするアパッチ族の行爲は、自然法に照らして罪だらうか。以前書いたやうに、政府は國民から課税によつて財産を奪ふ盜賊である。盜んだ金で品物を買つても正當な所有權を主張できないのと同じく、政府は税金で手に入れた資材や機械に正當な所有權を持たない。ならばそれを持ち去つても罪にはならない。米國リバタリアン經濟學者、ウォルター・ブロックが述べるやうに「泥棒から金を奪つても構はない(It is okay to take money from thieves.)」。だからアパッチ族のメンバーが「ワシら犯罪人とちゃうで!」(95頁)と言ふのは正しいのである。
(「『小さな政府』を語ろう」でも公開)

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