TPPは自由貿易か

小林よしのりゴーマニズム宣言スペシャル 反TPP論』(幻冬舎、二〇一二年)を讀んだ。經濟學的には滅茶苦茶な内容である。企業の内部留保が成長維持に缺かせない投資に使はれることを理解せず「全く一般労働者に還元されていない」(15頁)などと日本共産党みたいなことを言つてゐるし、一パーセントの資本家が九九パーセントの人々を支へる富を生み出してゐることに氣づかず「1%の企業家と株主だけがどんどん豊かになる……残り99%は貧困層に落ちていく」(16頁)と、これまた『共産党宣言』のやうな、最近息を吹き返しつつある資本家惡玉論を鸚鵡返しに唱へてゐる。
ゴーマニズム宣言スペシャル 反TPP論
またデフレは惡いといふ通念を鵜呑みにして物價下落の利點を無視し、「貿易自由化を進めたらさらに安い商品が入ってきて……さらにデフレは進行する」(16頁)からよくないといふ。高い國産品ばかり買はされて一番苦しむのは一般庶民なのに、フィリップ・マーロウを氣取つて「人は……優しくなければ生きていく資格すらない」(9頁)と悦に入るのだから困つたものだ。

小林は91頁で米や肉、果物など米國の農産品が日本列島に「怒涛の如く押し寄せる」ありさまをおどろおどろしく描いてゐるが、これらの商品を諸手を舉げて歡迎する日本國民(非國民?)の姿も描き加へるべきだらう。農作物を輸入に頼ると「日本人は大飢饉に陥る」(29頁)恐れがあると小林はいふが、江戸時代に飢饉で多數の死者を出したのは穀物を各地から贖入する都市部でなく、自給してゐた農村だつたことを知らないやうだ。人に本當に「優し」いのは、小林が再評價を訴へる鎖國や攘夷などではなく、自由貿易なのだ。

さてさんざん惡口を書いたが、私は「反TPP(環太平洋戰略的經濟連携協定)」といふ小林の結論には賛同する。ただし小林とは正反對の理由からである。

一九九二年に米國・カナダ・メキシコ三國が北米自由貿易協定NAFTA)を結んだ際、米國自由主義者保守主義者には賛成派も多かつたが、徹底したリバタリアンであるマレー・ロスバードは強く反對した。なぜなら自由貿易の看板の陰で、勞働や環境に關する規制が強化されたからだ。「關税は引き下げられるかもしれないが、その效果など消し飛んでしまふ……NAFTA自由貿易といふパンの半分だけでも増やしてくれるのならいい。だが實際はパンを減らされてしまふのだ。協定などまつたくないはうがましだ(Nafta is worse than no agreement at all.)」
自由の倫理学―リバタリアニズムの理論体系
TPPはこのNAFTAと驚くほど似てゐる。外務省が公表してゐる「TPP協定交渉の概括的現状」によると、環境分野については「貿易や投資の促進のために環境基準を緩和しないこと等を定める」とあり、勞働分野についても同樣に「貿易や投資の促進のために労働基準を緩和すべきでないこと等について定める」とある。「緩和しないこと等」と官僚的な言ひ囘しで表現されてゐるが、實際には規制強化をめざしてゐるのは明らかである。

事實、米通商代表部が公表した大要には「TPP諸国は、環境に関する条文が環境保護の強化(to reinforce)を助ける貿易関連問題に関する有効な条項を含むべきであるという見方を共有し、実施を監視するための有効な制度的取り決めや能力建設の必要性に取り組むための特別の協力フレームワークを討議している」(譯文は「農業情報研究所」ウェブサイトから引用)とある。

それだけではない。知的財産權について「既存のWTO協定の権利と義務を強化し、発展させることに合意した」といひ、衞生植物檢疫措置についても「既存の権利と義務を強化し、増築することに合意した」といふ。規制強化ばかりではないか。ロスバードなら、こんな協定など「まつたくないはうがましだ」と一蹴するに違ひない。TPPは自由貿易の名に値しない。

ところが日本の經濟論壇では、自由貿易を支持する論者でも、TPPの規制強化には無頓着どころか、むしろ歡迎すらするやうな態度が目立つ。たとへばエコノミストの片岡剛士は「TPPに参加することで、労働基準の緩和(ダウングレード)が生じるのか」といふ問ひに對し「実態は寧ろ逆で、ソーシャルダンピング(低賃金・児童労働といった劣悪な労働環境を利用して企業がコスト削減を行い競争力を高める事)の懸念を米国は表明しています。……労働の規制緩和ではなく、途上国の労働規制強化を求めていることに留意すべきです」とあたかも規制強化が喜ばしいことであるかのやうに述べてゐる。しかし途上國に限らず、低賃金で働くことを禁じれば、それで一番困るのは安價な勞働力以外に強みを持たない未熟練勞働者や若者である。
寓話で学ぶ経済学―自由貿易はなぜ必要か
經濟學的には間違ひだらけの小林よしのりだが、一つだけ評價すべき點がある。自由貿易は政府やその近親者の既得權益を脅かすはずなのに、それを日米兩政府が率先して推進するいかがはしさを無意識に感じ取つてゐることである。殘念ながら、その背景にあるのは小林が想像するやうな「国家より市場を優先する『世界市民』のイデオロギー」(99頁)などではない。まつたく逆に、個人や市場より國家を優先し、それによつて肥え太りたいといふ、政治家・官僚・その近親者たちのおなじみの渇望にすぎない。
(「『小さな政府』を語ろう」でも公開)

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