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【飜譯】徴兵制は奴隷制(D・ウェブスター)

筆者ダニエル・ウェブスター(十九世紀アメリカの政治家)
原題:Daniel Webster, Daniel Webster on the Draft: Text of a Speech delivered in Congress, December 9, 1814
出所The Online Library of Liberty


これ〔徴兵制〕は自由な政體の性質と矛盾しないでせうか。市民の自由といへるでせうか。アメリカ憲法の眞の特質でせうか。いいえ、斷じて否です。憲法は侮辱されたのです。それも口汚くです。この國の人々がうち建てたのはそのやうな專制政治の制度ではありません。人々が多額の財産をなげうち、血を流して大憲章に比すべき憲法をあがなつたのは、奴隷になるためではありません。

憲法のどこに、何條の何節に、子を親から、親を子から取り上げて、愚かで邪惡な政府が始めるかもしれない戰爭で無理やり戰はせてよいなどと書いてあるでせうか。一番大切な市民の自由權を踏みにじり、打ち壞さうとする權力が、おぞましく不吉な姿とともに今初めて立ち現れたわけですが、いつたいいかなる隱れ蓑に潛んでゐたのでせうか。國の安全や自由のために犠牲を拂はなければならない場合でなく、野心に滿ち、災ひをふりまく政府の目的にとつて必要とあらばいつでも、人生において價値あるものすべてを、さらには人生そのものさへをも抛棄するやうアメリカ人に強ひる憲法上の命令がどこにあるといふのでせうか。

かくも忌まはしい政策がわが國憲法に何のよりどころもないことを、わざわざ引用や資料にもとづいて證明しなければならないとは、ほとんど恥づべきことです。憲法は自由な政體の基礎として書かれたのであり、徴兵のごとき權限は個人の自由の概念と兩立しないといふことさへ知つてゐればそれで十分です。憲法の條項にもとづいて徴兵制を主張するとは、あたかも自由な政體の中身から奴隷制を抽出するやうな、よこしまなたくらみです。私たちが專制政府の支配下にあり、政府が支給する鎖と繩で自分自身や子供たちをきつくいましめる權利があるといふことを、證據や議論を竝べ立てて示さうとしてゐるのです。他の國々、他の時代においては憲法の解釋によつて政府の力を和らげ、正す努力がなされてきました。好意と慈悲を旨とする解釋を驅使して個人の安全にかんする權利を支へ、國民の自由にとつて友好的とはいひがたい仕組みと成り立ちの政府に自由の精神を吹き込んだのです。
他人のカネで生きているアメリカ人に告ぐ ―リバータリアン政治宣言―
目下の政策〔徴兵制〕を支持する人々は正反對の信條にもとづいて行動してゐます。國民の自由について明瞭に書かれた條文から、解釋によつて專制的な權力を導かうといふのです。私たちが戴くのは穩やかで自由な、制限された政府であるといふ、愚かにも信じ込んできた幻想から、喜んで解き放つてくれるといふのです。そしていちいち筋道立てて、次のやうに教へてくれるといふのです。政府が私たちに及ぼす權力は、暴君的で、專制的で、危險で、流血にまみれ、さまざまな災ひをもたらし、ありとあらゆる苦難を生み出す點において、唯一の例外〔ナポレオン治世下のフランス、またはアメリカ獨立戰爭時のイギリスを指すとみられる〕を除き、他の近代文明諸國が行使してきたいかなる權力をもしのぐものである、と。
(註)原文にない改行を插入。ロン・ポール著、佐藤研一朗譯『他人のカネで生きているアメリカ人に告ぐ』249-250頁の譯文を一部參考にした。

解 説

日本國憲法十八條は、奴隷的拘束および意に反する苦役からの自由を保障してゐる。この條文を根據の一つとして、日本では徴兵制が禁じられてゐるとみるのが憲法學の通説である。以前右がかつてゐた私は、神聖な國防の義務を奴隷と同列に扱ふとは何事か、これだから左翼ぞろひの日本の憲法學界はダメなのだと憤つたものである。

ところが徴兵制が奴隷制と同じだと言つたのは、極東の憲法學者たちが初めてではなかつた。日本國憲法が手本とした合衆國憲法を戴くアメリカでははるか昔から、有力政治家が同じことを言つてゐたのだ。その一人が聯邦上院・下院議員、國務長官を歴任したダニエル・ウェブスターである。

今囘紹介した文章は一八一四年十二月、マディソン大統領による徴兵制導入の提案に反對し、ウェブスターが下院でおこなつた演説である。當時は米英戰爭の最中で、アメリカは首都ワシントンが燒き討ちにあふといふ差し迫つた状況にあつた。今の日本でいへば、東京が北朝鮮のミサイル攻撃にあふやうなものだ。それでもウェブスターは、政府の權力を制限し個人の自由を守るといふ憲法本來の理念にもとづき、反對の論陣を張つたのである。ウェブスターの働きにより徴兵制法案は廢案となつた。

若者に愛國心と自己犠牲の精神を叩き込むため徴兵制を復活せよといつた「タブーに挑戰する」議論を時々目にする。しかし國防の目的は個人の自由を守ることであつて、その目的に反するやうな手段を選ぶことは矛盾である。ウェブスターの言葉に同感するリバタリアンの政治家、ロン・ポールはかう辛辣に述べてゐる。「政治家たちは、若者を無理やり彼らがいいと思った政治や軍隊、社会活動に参加させ、利用しようとする。若者たちは、政治家たちが考える願望を実現させるための道具ではない。自由な社会においては、彼らの人生は政府のおもちゃではないのである」(上掲書、251頁)
Free Market Forum Japan でも公開)