「平たい顔族」の企業家精神

ヤマザキマリのマンガ『テルマエ・ロマエ』(ビームコミックス)がヒットしてゐる。今日(4月28日)から阿部寛主演の實冩映畫が全國で公開され、原作の人氣もさらに高まりさうだ。「ローマの浴場」といふ意味の題名が示すやうに、テーマは風呂。古代ローマの浴場設計技師ルシウスがなぜか現代日本との間でタイムスリップを繰り返し、さまざまに工夫をこらした日本の風呂や温泉に驚きながら、そこで得たアイデアをローマでの浴場建設に役立ててゆくといふ奇想天外な物語である。爆笑しながら、なぜ日本の風呂がこれほど魅力的なのか、そしてなぜ一部の形態の風呂がその魅力を失つてしまつたのか、考へるきつかけをあたへてくれる。
テルマエ・ロマエ IV (ビームコミックス)
ルシウスが初めてタイムスリップした日本の風呂は錢湯である。ルシウスはプラスチックの洗面器を手にとつては「今まで見たこともない素材で出来ている…なんという美しい黄色なのだ…」(單行本第1卷、18頁)と感歎し、フルーツ牛乳を口にしては「美味いッ!! しかも冷たくて甘い!!」(同27頁)と驚愕する。しかしルシウスが知らないのも無理はないが、壁に富士山が描かれたやうな、昔ながらの町の錢湯は今や衰頽の一途をたどつてゐる。浴場としての魅力を失つてしまつたからだ。實際、ルシウスが錢湯で感心するのは今舉げた洗面器やフルーツ牛乳のほか、鏡、脱衣籠、脱衣所に貼られた映畫のポスターなどの工業製品ばかりで、入浴そのものの快適さではない。

錢湯が魅力を失つたのは、政府に保護される一方で、規制に縛られ、利用者のニーズに十分應へてこなかつたからだ。錢湯獨特の規制には大きく二つある。一つは料金規制だ。終戰直後の昭和21年(1946年)に物價高を抑へこむ目的で制定された物價統制令といふ法令があるが、今でも對象となつてゐるのは、錢湯の入浴料だけである。錢湯が料金を高くして、經濟的に餘裕のない國民が入浴できなくならないやうにといふ趣旨らしい。なぜ日常生活に不可缺なその他の商品・サービスが對象外で、錢湯だけが對象なのかわけがわからないが、法令を受けて錢湯の料金は各都道府縣が上限を設けてをり、自由に決めることができない。
テルマエ・ロマエ ?小説版? (KCG文庫)
もう一つは距離規制だ。やはり終戰まもない昭和23年(1948年)に定められた公衆浴場法により、ある一定の距離内には錢湯どうしが開設できない。この規制は職業選擇の自由を定める憲法22條に違反するのではないかとして、裁判で爭はれたことがある。昭和30年(1955年)に最高裁は合憲との判斷を下した。その理由は、もし公衆浴場の設立を「業者の自由」に任せると「その偏在により、多数の国民が日常容易に公衆浴場を利用しようとする場合に不便を来たすおそれなきを保し難く、また、その濫立により、浴場経営に無用の競争を生じその経営を経済的に不合理ならしめ、ひいて浴場の衛生設備の低下等好ましからざる影響を来たすおそれなきを保し難い」といふものであつた。多數の企業が市場に參入すると「無用の競争」を招き、衞生設備の低下につながるとは、すでに高度成長期に入つてゐたにもかかはらず、いかにも經濟の仕組みを知らない役人的發想である。

それから三十年以上たつた平成元年(1989年)、距離規制は再び合憲性が爭はれた。このときすでに、規制で國民の「入浴の自由」(?)を保障しようとした政府のもくろみとは裏腹に、錢湯は轉業・廢業が相次いでゐた。ところが最高裁は、錢湯が減つてゐるからますます經營を安定させる必要が高まつたとして、またしても合憲との判斷を示したのである。競爭が激しくても、その正反對の状態でも、どちらにしても規制は正しいといふわけである。もちろん錢湯はこれで息を吹き返したりしなかつた。

しかしこの頃、日本の浴場業に新しい光が差し始めてゐた。スーパー錢湯である。第一號がどこかは諸説あり、昭和62年(1987年)に大阪でオープンした浴場がその一つとされてゐるらしい。普通の錢湯と違ひ、上下水道料金の優遇や固定資産税の減免といつた恩恵を受けられない代はり、料金や立地が制限されない。昔ながらの錢湯が保護と規制の中で活力を失つてゆくのと對象的に、スーパー錢湯は比較的高い料金の見返りに附加價値の高いサービスを提供し、人々の支持を勝ち取つていつた。規制がないためさまざまな企業が參入し、競爭の結果、サービスが向上すると同時に、値段も安くなつてゐる。私は近所の「極楽湯」に送迎バスを使つてよく行くが、週末や夏休みは家族連れで大にぎはひだ。今では多少ましになつたのかもしれないが、古ぼけて薄暗く、ときどき刺青を入れた人が入つてゐたりする昔の錢湯に行かうといふ氣にはならない。

昔ながらの錢湯が衰頽し、日本の風呂文化も風前の燈かと思はれたそのとき、企業家精神によつて生み出されたスーパー錢湯がそれを救つた。近頃はさらに大規模な温泉テーマパークも人氣を集めてゐる。『テルマエ・ロマエ』では、ルシウスが温泉テーマパークを手本に造つた滑り臺附き浴場に、古代ローマの貴族たちが大喜びする(單行本第2卷)。
企業家と市場とはなにか
ルシウスには惡いが、古代ローマが「平たい顔族」(日本人のこと)を上囘る風呂文化を生み出すのはむづかしいだらう。ローマの浴場が皇帝によつて建造され、費用の多くを税金でまかなつたのに對し、日本のスーパー錢湯や温泉テーマパークは、消費者が身錢を切つてくれるやうに、そのニーズを日々くみ取りながら魅力を磨き上げてゐるからだ。最近はスーパー錢湯の開設を規制しようとする動きもあり、油斷はできないけれども、經濟的自由が封殺されない限り、日本の風呂文化の未來は明るい。この大型連休はスーパー錢湯にゆつくりつかつた後、わが平たい顔族の企業家精神に祝杯をあげよう。
(「『小さな政府』を語ろう」でも公開)