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道徳を權力で強ひますか

マイケル・サンデル『それをお金で買いますか』(鬼澤忍譯、早川書房)が發賣された。序章が先行出版された際に一度批判したが、今囘全體を讀んでみたら、さらにお粗末だつた。サンデルは、自分がふさはしいと思はない領域で、人々が自由にふるまふことが感情的に許せない。それだけのことを三百頁も費やして延々と書き連ねたのが、この本だ。
それをお金で買いますか――市場主義の限界
たとへばサンデルは、野外で無料で上演されるシェイクスピア劇の坐席を手に入れる際、自分で行列に竝ばず、金を拂つて「並び屋」を雇ふ人々が許せない。そして「無料の公共劇場が市場の商品に変わるとき、何かが失われる」(52頁)と言ふ。野外公演は「一種の市民的な祝典」なのに、金がからんだとたん、「個人が利益を得るための道具に変わってしまう」と憤る。

サンデルにとつて、演劇は單にそれ自體を樂しむためのものではなく、「出自や社会的立場の異なる人たちが……差異を受け入れることを学ぶ」(284頁)手段であり、「共通善を尊ぶ」やうになるための道具である。その崇高な目的のためには、全員が平等におとなしく行列に竝び、同じ無料の席に愼んで坐らなければならないらしい。

しかしそれはサンデルの勝手な思ひ込みにすぎない。シェイクスピアが生きてゐた頃のエリザベス朝の英國で、有名な劇場であるグローブ座は、平土間の立ち見は安い入場料だつたが無料ではなかつたし、階上には入場料の高い椅子席もあつた。それでも、いや、それだからこそ、英文學者の本橋哲也によれば「貴族から外国人、法律家、知識人、職人、商人、その妻たち、学生、徒弟、娼婦、スリにいたるまで実に幅広」い觀客層が集まり、一緒に芝居を樂しんだのだ。

サンデルにとつて、スポーツも演劇と同じく市民教育の道具だ。球場や競技場で「皆が一緒に同じ体験をし、少なくとも数時間は、地元への愛着と市民の誇りを共有する」ことで、「市民としてのあり方を学べる」(244頁)とサンデルは書く。ところが忌々しいことに、命名權の賣買によつて球場や競技場の名前に企業名がついたり、豪華なボックス席の登場により富裕階級と庶民の席が隔てられたりすると、「社会の絆と市民感情」が失はれると言ふ。球場とは「企業幹部が労働者と並んで座り、ホットドッグやビールを買うために誰もが同じ列に並」ぶ場所でなければならないらしい。よくよく行列の好きな人だ。

けれどもかりに野球やフットボールが「社会の一体感と市民の誇りの源」(243頁)だとしても、グローブ座の例でわかるとほり、料金が全員同じでなければならない理由はない。それどころか高額なボックス席が富裕階級に賣れるおかげで、球場や競技場は一般席の料金を安く抑へ、庶民が買ひやすくすることができる。サンデルは一九六五年に一・五ドルだつたメトロポリタンスタジアムの外野席が現在では十一ドルに値上がりした(230−231頁)と憤慨し、それを商業主義のせゐにしてゐるが、リバタリアンの哲學者で書評家のデヴィッド・ゴードンによれば、消費者物價指數の上昇率をかけると一九六五年當時の一・五ドルは現在の一〇・九二ドルにあたり、實質ほとんど横ばいだ。

サンデルは市場を全否定するわけではないと言ふ。だがどのやうな財なら市場取引による配分を認め、どのやうな財なら認めないのか、その基準がさつぱりわからない。本書の副題が「市場主義の限界」であり、帶で「現代の最重要課題に、教授はどう答えるか?」と讀者に期待を持たせてゐるにもかかはらず、著者自身の解答はどこにも書かれてゐない。ひたすら市場は不道徳だといふ印象論を書き連ねるだけだ。

思はず笑つてしまつたのはこんなくだりだ。「行列の倫理はあらゆる場面を支配するわけではない。私が自宅を売りに出したとしたら、最初にあった購入の申し込みを、最初の申し込みというだけの理由で受諾する義務はない」(61頁)。もし市場取引で財が「腐敗」(54頁)する恐れがあるのなら、君子危ふきに近寄らずで、自宅の賣却相手も行列で決めればよささうなものだが、さうしないと言ふ。都合のよい「倫理」もあつたものだ。
サンデル教授、ちょっと変ですよ――リバタリアンの書評集 2010-12〈政治・社会編〉 (自由叢書)
もちろん個人として反市場主義を唱へるのは自由だし、その信條にしたがつた生き方をするのも自由だ。代理母業や臟器賣買が不道徳と思ふなら、自分がやらなければよいだけの話である。だがサンデルは、市場に許すべき領域を「公の場」(26頁)、つまり政治の場で大いに討議せよと主張する。要するに、自分の道徳觀と相容れない人々の行動を政府が權力で縛るやう期待してゐるのだ。

しかし道徳は自由意志で實踐してこそ意味がある。權力で強制すべきものではない。市場による道徳の「腐敗」を聲高に歎いてみせるサンデルは、權力が觸れたとたん道徳が腐敗することにはまつたく無頓着である。こんな先生が理想とする「市民としてのあり方」を強制されることだけは御免かうむりたい。
(「『小さな政府』を語ろう」でも公開)