読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

課税・國債・輪轉機

政府がお金を手に入れる方法は三つしかない。取るか、借りるか、作るかである。具體的にいへば、それぞれ(1)課税(2)國債の發行(3)お金の創造――といふことになる。なほ、(3)のお金とは、具體的には紙幣(お札)や銀行預金で、それらを作り出すのは形式的には政府でなく中央銀行だが、實質的には政府とほぼ同じとみてよい。

まづ、(1)の課税は文字通り、國民から税金を普通に徴收することだ。一方、(3)のお金の創造は、(1)と實質同じである。なぜなら、たとへば政府がお札を輪轉機で刷つて、お札全體の枚數が増えれば、國民が持つてゐるお札の一枚あたりの價値が目減りするからだ。價値の目減りが誰にもわかるのは物價が上昇した場合だが、物價が下がつた場合も同じだ。もし政府がお札を刷つてゐなければ、さらに物價が下がつて一枚あたりの價値がもつと上がつたはずだからだ。

また、(2)の國債發行は、課税の先送りである。先送りした税は結局、(1)の普通の「見える課税」か、(3)のお金の創造といふ「見えない課税」のどちらか、あるいは兩方の組み合はせによつて取り立てられることになる。

最惡はどれか

さて、私たちが政府からお金を取られる場合、上の三つのうちどの方法で取られるのが一番ましで、どれが最惡だらうか。もちろんどんなやり方でも嬉しくはないが、「牛の糞にも段々がある」といふ言葉もある。あへて言へば、どういふ順番になるだらう。

いやな取られ方とは、おそらく以下のやうなケースだらう。

  • 取られるか取られないかわからない
  • 所得・資産・消費など取られる對象がわからない
  • 税率がいくらかわからない

このやうな無茶な取り方は大昔からあつて、取られる側を惱ませてきた。そこでたとへば英國では、13世紀の大憲章(マグナ・カルタ)や17世紀の權利請願で、課税は議會の同意や承諾が必要と定められた。日本國憲法でも84條で「あらたに租税を課し、又は現行の租税を変更するには、法律又は法律の定める条件によることを必要とする」と規定してゐる。これを租税法律主義といふ。歴史の教訓からして、租税法律主義に反するやり方ほど、無茶な取られ方をされさうだ。
租税憲法学
ではあらためて考へよう。まづ(1)の普通の課税は、いま述べたやうに、憲法で租税法律主義が義務づけられてゐる。もつとも現實には、相續税だけで千頁以上、消費税だけで八百頁以上もあるやうな厖大な通達によつて具體的な課税内容が事實上決められてゐる面もあり、「租税法律主義の形骸化は著しい」(増田英敏『租税憲法学』、成文堂、65頁)といはれる。だが少なくとも憲法學者や租税法學者の一部からは、「通達課税」は憲法違反であると批判されてをり、曲がりなりにもルールとしては生きてゐる。だから普通の課税であれば、まあそれほど無茶なことにはならないだらうと、いちわう安心できる。

次に(2)の國債は、現在世代が將來世代に借金を負はせることの問題を別とすれば、もし最終的な取り立てが(1)の普通の課税であれば、上で述べたとほり、租税法律主義の縛りがかかる。國債の發行自體、憲法85條により、國會の議決にもとづかなければならないから、これも気休めかもしれないが齒止めにはなる。國債を個人や民間金融機關でなく、中央銀行が贖入する場合は、(3)と實質同じなので次で述べよう。

法の縛りなし

さて(3)のお金の創造である。すでに書いたとほり實質課税であるにもかかはらず、これにはなんと法的な縛りがない。お札は國債を裏づけに發行するから、國債發行の國會承認により間接的に齒止めがかかつてゐるといへなくもないが、銀行預金になると、中央銀行もその額を制禦しきれない。ましてや公平な課税などできつこない。つまりお金の創造といふ實質課税は、誰がいつどれだけ負擔するのか政府自身にもわからないといふ、まるでロシアンルーレットか暴走機關車のやうな無茶苦茶な代物なのだ。
暴走機関車 [DVD]
殘念ながら法學者は、この方法を、租税法律主義をかいくぐる脱法行爲とは考へないらしく、「日銀法は憲法違反」と批判したといふ話は聞いたことがない(憲法83條の財政立憲主義と日銀の通貨發行權の整合性について論じたものとして君塚正臣「日本銀行の憲法学」。また經濟学者の岩本康志は、非傳統的金融政策に限定して違憲の疑ひが生じるとしてゐる)。

もし輪轉機による見えない課税が、普通の課税よりも少額と事前にわかつてゐれば、取られる側として前者がましといへるだらう。だがそれは不可能だ。いま述べたやうに、いくら取られるかわからないことこそ、見えない課税の本質だからだ。政府が國民の反撥を買ひやすい普通の課税を避けて輪轉機に頼るからには、控へめな額で濟ませるとも思へない。またマネーの創造で景氣が一時よくなることはあつても、バブルはいづれ彈けるから、この方法を辯護する理由にはならない。

といふわけで、政府からお金を取られる一番ましな方法は普通の課税、最惡は輪轉機、その中間でどちらにも轉ぶのが國債といふことになる。ただしこれらはすべて、「牛の糞」にすぎないことをお忘れなきやう。
(「『小さな政府』を語ろう」でも公開)