ハイエク對フリードマン

フリードリヒ・ハイエク(1899-1992)とミルトン・フリードマン(1912-2006)はしばしば、「新自由主義」の經濟學者としてひとくくりにされる。たしかに經濟にたいする政府の干渉を批判する點で二人は共通してゐる。しかしぜひ知つておかなければならないのは、經濟においてきはめて重要な意味をもつある物について、決定的に對立する見方をしてゐることだ。ある物とは貨幣、つまりお金である。
貨幣論集 (ハイエク全集 第2期)
このことを知らずにゐると、とんでもない間違ひをやらかすからご用心である。その代表例が『岩波=ケンブリッジ世界人名辞典』(岩波書店、1997年)だらう。いかにも權威のありさうなこの辭典には、ハイエクは「マネタリズムの父」と呼ばれると書いてある。これは完全な誤りである。

マネタリズムとは中央銀行が貨幣量の増加率を一定に保つべきだといふ主張だが、この主唱者であるフリードマンと違ひ、ハイエク中央銀行が貨幣を獨占的に供給する制度そのものを嚴しく批判した。フリードマンより少し年上だからといつて、マネタリズムの父などであるはずがない。

英語學者で保守派評論家の渡部昇一が著書『自由をいかに守るか――ハイエクを讀み直す』(PHP新書、2008年)の「まえがき」で、この誤つた記述をそのまま紹介し、恥をかいたことはよく知られる。まあ一番惡いのは、ウソの解説を書いた辭典の執筆者と、それを見逃した日本語版編輯者のうちただ一人の經濟學者である佐和隆光だが、誤りに氣づかなかつた渡部にももちろん責任はある。渡部は誤りを指摘されて開き直つてをり、じつに見苦しい。

かういふ恥をかかないために、ぜひ讀んでおきたい本が最近出た。ハイエク全集第II期第2卷『貨幣論集』(池田幸弘・西部忠譯、春秋社)である。ハイエクフリードマンの主張を直接批判してゐるので、二人の考への違ひがよくわかる。ここでは貨幣そのものと、それと縁の深い價格にかんする議論を紹介しよう。

まづ、貨幣についてである。すでに述べたやうに、中央銀行、つまり政府による貨幣供給を大前提とするフリードマンと異なり、ハイエクは貨幣供給の獨占權を政府から奪ひ、民間銀行にも開放して競爭させ、過剩な發行で價値が減らない良い貨幣を人々が選べるやうにすべきだと主張する。そしてさうなれば、政治的な理由で過剩發行されやすい政府貨幣はすたれ、民間貨幣が生き殘るだらうと述べる。

ハイエクの案についてフリードマンは、歴史的にみて民間貨幣が政府貨幣を驅逐するとは考へにくいと疑問を呈するが、これにハイエクは次のやうに反論する。ある國で民間貨幣の試みが成功しようとすれば、政府はただちに介入してそれを沮止するはずだから、歴史上の例が少ないのは當然である。だが國際的には、英ポンドの價値が落ち續けるやうになつてから、國際貿易の中心通貨としての地位を米ドルに奪はれた事實がある。また米ドルは世界中で地下經濟の取引手段として使用されてゐる。

そもそもフリードマンは他の商品・サービスについては政府の獨占を激しく攻撃するのに、なぜか貨幣の話になると、「競争がより良い手段を普及させるという信念をほとんどもっていない」(124頁)のは驚きであるとハイエクは批判する。主張の一貫性において、ハイエクに軍配が上がるのは明らかだらう。

次に、價格についてである。ハイエクは、フリードマンマネタリストが企業物價や消費者物價のやうな、さまざまな價格の平均値を重視しすぎると批判する。ケインズ學派にも共通するかうしたマクロ經濟學の偏つた思考法は、いまではすつかり世間に廣まつてゐて、やれ物價指數が1コンマ何%下がつたから大變だ、日銀はもつと果敢に金融緩和をやれといつた解説は、耳にたこができるほどである。

しかしハイエクは、經濟により大きな影響を及ぼすのは、平均價格よりも、個々の商品・サービス價格が互ひにどの程度高いか安いか、つまり「相対価格」だと指摘する。たとへば「商品Aが600圓、商品Bが1000圓」でも「Aが1000圓、Bが600圓」でも平均はどちらも800圓であり、變はりはない。だが重要なのは、AとBのどちらがどれくらゐ高いか安いかである。なぜならAの價格がBより高ければ高いほど、企業はBよりもAを多く生産しようといふ意欲を強め、現實の經濟に影響を及ぼすからである。

だから政府が貨幣を大量に發行したにもかかはらず、物價指數が上昇せず「安定」してゐたとしても、水面下では「相対価格の体系全体を歪める」(120頁)恐れがある。貨幣は政府から親しい企業や有權者に優先的に流れ、社會全體に均等に行き渡るわけではないからである。そして資源の使用を誤つた方向へ導き、長期で經濟の機能を大きく損ねる。

ハイエクの主張は經濟史に照らして説得力がある。大恐慌直前の1920年米國で、物價指數は安定してゐた。このため正眞正銘の「マネタリストの父」であるアーヴィング・フィッシャー(1867-1947)は、經濟は健全であると信じ、ニューヨーク株暴落直前の1929年10月、「株價は永久に高い水準に保たれる」と高らかに宣言してしまつた。一方、ハイエクは同年初め、聯邦準備理事會が金融緩和政策をやめると決めたことから、米國景氣は數カ月以内に崩潰するだらうと述べてゐた。

ハイエクの主張がすべて正しいわけではない。とくに金本位制の復活にかたくなに反對してゐるのは疑問である。だがマネタリストと呼ばれるフリードマンより、マネーの本質をよく理解してゐたのは間違ひない。世界が金融危機に直面するなかで、その知的遺産の價値はますます高まるだらう。
(「『小さな政府』を語ろう」でも公開)