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中央銀行はいらない

今の日本で「日銀を廢止せよ」などと言へば、頭のをかしい奴としか思はれまい。しかし米國には、中央銀行廢止論を三十年以上も大まじめに主張しつづけてゐる國會議員がゐる。大統領選にも何度か出馬した、聯邦下院議員のロン・ポールテキサス州選出、共和黨所屬)である。そのポール議員が持論を詳しく述べ、ベストセラーになつた著書(原題 End the Fed)の飜譯本がこのほど刊行された。『ロン・ポール連邦準備銀行を廃止せよ』(佐藤研一朗譯、成甲書房)である。一讀すれば、一見過激な聯銀廢止論が、じつはきはめてまつたうな經濟理論と歴史的洞察にもとづくことがわかる。
ロン・ポールの連邦準備銀行を廃止せよ
中央銀行は通貨を安定供給することで經濟成長を支へ、不況や恐慌の際には金融緩和や特別融資で經濟が立ち直るのを手助けする――。私たちは學校でさう教はつた。だがポールは、親交のあつたミーゼス、ハイエク、ロスバードらオーストリア學派經濟學者の理論にもとづき、「常識」に異を唱へる。「連銀の人工的な低金利は大きな問題を引き起こす。経済的なブームが出現し、過剰な投資と余剰な資金が制度の中に組み込まれ、その結果バブルが引き起こされる」(245頁)。中央銀行は、不況や恐慌を退治する正義の味方ではない。バブルをもたらし、その反動の不況や恐慌を招く張本人なのである。

中央銀行のはらむ問題はこれだけではない。政府が國民の反感を買ひやすい税金に頼らず、好き勝手にお金を使ふ拔け道として利用されてしまふ。無からお金を作り出せるからである。政治家がこの誘惑から逃れるのはむづかしく、日米歐は中央銀行による買ひ取りをあてにして多額の國債を發行した結果、積もり積もつて財政危機に瀕することになつた。

政府が安易に調達したお金は、政治的都合を優先し、さまざまな不效率な事業に投じられる。とりわけ米國で深刻なのは、軍事費の過大な膨脹である。ポールはかう警鐘を鳴らす。「古代ローマから通貨膨張は、戦争や帝国を維持するために利用されてきた。そしてその結末はすべて悲惨な結果に終わっている」(186頁)。事實、米國では「アメリカの安全を守るために軍事支出が必要だと叫ばれた結果、軍産複合体は大いに繁栄した。そしてさらなる戦争を起こして、逆にアメリカ国民の安全を脅かし、アメリカを貧窮に陥れている」(263−264頁)

ポール議員は、かつて米國の傳統的な外交方針だつた不干渉主義をいまなお強く信奉し、在日米軍を含む在外駐留米軍の撤退を主張してゐることでも知られる。世界約四十カ國、七百カ所にも及ぶ基地や軍備は、中央銀行といふ「打ち出の小槌」なしには維持できないことを、ポールは理解してゐる。一見縁遠く見えるポールの反軍擴主義と聯銀廢止論は、表裏一體なのである。

ところが左翼・リベラル派の多くは、反戰を唱へながら、この道理をわかつてゐない。ポールはかう歎く。「プログレッシブ〔急進的リベラル派〕は、政府は文化、道徳、宗教に関わるべきでないと考える。これは正しい。だが事が経済となると、政府がすべての経済分野で企業を規制して経済の中央計画をしないと民衆は生きていけないと思っている。これは実に困った思い込みである」(182頁)

このやうに首尾一貫しないリベラル派の典型は、ノーベル賞經濟學者のポール・クルーグマンだらう。クルーグマンは國防の範圍を踏み外した米政府のイラク戰爭を批判してをり、その點は高く評價できる。ところが周知のとほり、リバタリアンロン・ポールと對照的に、中央銀行が通貨價値の毀損により市民の財産權を侵すことにはじつに鈍感である。譯者解説で紹介された兩者のテレビ討論では、いやでもその鈍感ぶりが顯著になる。

クルーグマンは「通貨政策から政府を追い出すわけにはいかないのですよ」と決めつけ、「もしそれを避けようとするなら、あなたは百年前の世界に住んでいることになります」(289頁)とあたかもロン・ポールが過去の遺物ででもあるかのやうに非難する。

だがロン・ポールはかう切り返す。「クルーグマン教授は、私たちが百年前に戻りたいと考えていると批判しました。……しかし、教授の主張は一千年、二千年前に戻りたいという考えではありませんか? かつてのローマやギリシャのような国家が、自分たちの通貨を減価させたように」(291頁)。後身のビザンティン帝國が金貨の品質を六百年間も守り、永い平和と繁榮を築いたのと對照的に、ローマ帝國は金貨や銀貨を他の金屬で薄め、市民の財産權を侵し、物價騰貴を引き起こして衰亡したのである。

自由、市場、戰爭反對を信じる人々にとつて聯銀は廢止すべき機關だと説くロン・ポールに、クルーグマンは「私だって自由や市場を信じていますよ」(299頁)と反論する。けれども自由や市場を守るために讓つてはならない一線があることを、クルーグマンロン・ポールのおそらく半分も理解してゐないだらう。

日本では九〇年代のバブル崩潰後、銀行が抱へる不良債權の清算を金融緩和で先延ばししたために、不況から拔け出せなかつた。東日本大震災後、復興を名目に、またしても通貨増發の壓力が高まつてゐる。「中央銀行を廃止し堅実な通貨を回復させなければ、危機はさらに悪化する」(106頁)といふロン・ポールの警告は、決して他人事ではない。
(「『小さな政府』を語ろう」でも公開)