いつか來た「第三の道」

社會學者の小熊英二は『社会を変えるには』(講談社現代新書)で、戰後續いてきた「独占企業・行政・政治の複合体」(440頁)の問題點が福島原發事故によつて明らかになつたと正しく指摘する。ならば日本社會にとつて、この複合體の解體こそ急務のはずである。ところが小熊は、政府が經濟活動にあれこれ干渉する「第三の道」を提唱する。これは解體すべき政經複合體に、一見人にやさしさうな化粧を施しただけで、本質は同じである。これでは社會は變はらない。
社会を変えるには (講談社現代新書)
一部の論者は「市場原理主義」が原發事故を招いたなどと的外れなことを言ふが、小熊はかう正しく指摘する(42−45頁)。戰後日本における原發建設は、道路建設などと同じく、ソ聯やナチスドイツ、日本支配下の滿洲國でおこなはれた計劃經濟と本質的に同じである。戰後日本の特徴は、政府が直接原發などを作るのでなく、政府の政策にもとづいて民間會社が作る「国策民営」の仕組みにある。この體制は政府と企業の癒着が起きやすいうへ、いざ何か問題が生じた場合、政府と企業のどちらも責任を負はない無責任體制になりやすい。

さうだとすれば、變へなければならないのは、政府が經濟活動を多くの分野で實質支配する體制のはずである。たとへば電力事業は、政府の介入を排除し、地域獨占や參入規制を撤廢し、すべて民間企業の自由に任せるべきである。原發は、もし電力會社が用地取得や放射性廢棄物の處理、保險などのコストを負擔したうへで利益を出せなければ淘汰されるだらうし、安全性を高めて信頼を取り戻し、料金も安くし、原發を持つ電力會社と契約する利用者が増え、コストを吸收するだけの收入を得られれば、生き殘るだらう。

ところが小熊は、現状を變革する絲口として、英國の社會學者アンソニー・ギデンズの主張を持ち出す(372頁)。ギデンズは、1990年代にトニー・ブレア率ゐる勞働黨政權のブレーンを務め、市場の效率性を重視しつつも國家の補完による公正の確保をめざすといふ「第三の道」を提唱したことで知られる。この路線は要するに、戰後日本で續いてきた、自由であるべき經濟を政府が實質支配する體制と、本質的に何も變はらない。そのことは、ギデンズの議論を踏まへ、小熊がおこなふ具體的な提案を見れば、さらにはつきりする。

小熊は、「ポスト工業化」した現代社會においては、問題の發生ごとに對處する從來の發想ではいけない、全員に基本レベルの保障を提供する「基本保障の発想」が大切だとして、たとへば失業した人だけに失業保險を出すといふのでなく、最低賃金が基本保障として重要だと主張する(404頁)。

しかしこれは經濟學の初歩だが、政府が人爲的に最低賃金を設定すれば、失業の増大につながる。賃金が高すぎると、企業が人を雇ひたがらないからである。勞働に限らず、あらゆる商品やサービスは、價格が高くなると需要が減る。「ポスト工業化」社會だらうと何社會だらうと、この經濟法則から逃れることはできない。

最低賃金を保障しつつ失業者を増やしたくなければ、たとへば雇傭を増やす企業を補助金などで優遇するしかない。さうなると企業經營者は、事業が有望かどうかとは無關係に雇傭を増やすやうになる。小熊が主張するやうに産業轉換が容易になるどころか、成長の見込みがないのに、雇傭の見返りに受け取つた補助金のおかげで、いつまでも市場から退出しない企業が増えるだらう。それが限界に達し、企業が結局人員の整理に踏み切れば、それまで雇はれてゐた人々は、もはや有望な産業分野に轉職する機會を失つてゐるかもしれない。

小熊は、全員に最低賃金などの基本保障を支拂ふとお金がかかるといふ批判に對し「産業構造の転換ができなかったり、若年失業がふえて治安が悪化したり、年金制度や保険が行き詰まったりすると、もっとお金がかかります」(407頁)と反論する。だがいま述べたやうに、政府の介入が經濟の自然な發展を歪め、最後に一氣にしわ寄せがやつて來ることを考へると、とてもさうとは言ひ切れない。

また最低賃金規制で生じる失業を無理やり減らすには、補助金や罰則が必要になるだけではない。補助金の財源をまかなふため新たな課税も必要となるだらうし、企業を監視する體制やコストも求められるだらう。このやうに政府がある規制をおこなふと、それによつて別の問題が生じ、それを取り繕ふため次々に新たな規制や財産の收奪が必要になつてゆく。
ヒューマン・アクション―人間行為の経済学
だから「第三の道」は、資本主義と社會主義の中間にとどまることはできない。必然的に社會主義の側に近づいてゆくのである。これについて自由主義者の經濟學者、ルートヴィヒ・フォン・ミーゼスは次のやうに述べてゐる。

市場現象に対する、あらゆる種類の干渉は、干渉立案者や支持者が求めている目的を果たし得ないばかりでなく、(立案者や支持者の評価から見ても)変革すべき元の状態よりも、望ましくない状態をもたらす。明らかとなった不適合性と非合理性を、最初の干渉行為に、ますます干渉を追加することによって是正しようとするならば、市場経済が完全に破壊され、社会主義が、それにとって代わるまで、ますます干渉を推進しなければならなくなる。(村田稔雄譯『ヒューマン・アクション』、春秋社、906頁)

小熊はせつかく政府が電力事業を實質支配する體制を批判しながら、ここで例に舉げた勞働のほか、教育、醫療などについては政府の干渉を認めてゐる(電力も自由放任がよいとは考えてゐない可能性が大きい)。だが干渉の「立案者や支持者」がかりに善意の持ち主だつたとしても、結果として不效率と不公正が避けられないことは、電力もそれ以外の分野も變はらない。「第三の道」は、日本をこれまでと同じ過ちに導くだけで、社會を變へる理念にはならない。
(「『小さな政府』を語ろう」でも公開)