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金本位制といふ選擇

米大統領選を前に、共和黨が金本位制への復歸を檢討する委員會の設置を政策綱領に盛り込み、注目されてゐる。金本位制復活に對する經濟專門家やメディアの評價は大半が否定的で、「トンデモ本の世界では人気あるトピック」とこき下ろす向きもある。
通貨戦争 崩壊への最悪シナリオが動き出した!
しかし金本位制復活は本當にトンデモない暴論なのだらうか。さう思ひ込んでゐるなら、邦譯が出版されたばかりのジェームズ・リカーズ『通貨戦争』(藤井清美譯、朝日新聞出版)をぜひ讀んでみるべきである。金本位制を現代に通用しない「野蠻の遺物」と決めつける多數意見が、歴史的事實や經濟理論についての無智に基づくことがわかる。

金本位制への批判としてよく言はれるのは、お金の量を「柔軟に」増やせないため、デフレ(物價下落)につながりやすく、したがつて經濟成長の足かせになるといふものである。たしかに金本位制はデフレにつながりやすい。しかしデフレが經濟成長の足かせになるといふのは、現代の迷信である。リカーズは古典的金本位制の時代といはれる1870年から1914年の時期について、次のやうな歴史的事實を指摘する。

この期間にはインフレがほとんどなかった……。技術革新によって、失業の増大をともなわない生産性向上と生活水準の向上が実現された結果、比較的進んだ経済では緩やかなデフレ(物価下落)が広く見られた。(66頁)

金本位制は緩やかなデフレとともに、第一次世界大戰前の世界に空前の繁榮と平和をもたらしたのである。これはもちろん、金融實務家であるリカーズの發見ではない。リカーズは「経済学者たちはほぼ一様に、この時代のすばらしい経済的成果を指摘している」として、經濟史家ジュリオ・ガラロッティの研究やセントルイス聯邦準備銀行が公表した論文を紹介する。同聯銀が公表したマイケル・ボードーの論文は「アメリカとイギリスの経済実績は、古典的金本位制の下ではその後の管理通貨制度の時代より良好だった」(68頁)と結論づけた

また、よくある金本位制復活批判に「現代の經濟規模に見合ふ量の金がない」といふものがある。だが物理的な量が少なくても、經濟規模に見合ふ水準に金價格が上昇すれば、問題はない。リカーズは金の適正價格を1オンス七千五百ドル程度とはじく(311頁)。現在の市場價格(約千七百ドル)の四倍以上である。

さて米ドルは長期の凋落に齒止めがかからず、この先崩潰に向かふのかどうか注視されてゐる。リカーズは悲觀論者である。ベン・バーナンキ議長率ゐる聯邦準備理事會が繰り廣げる「金融史上最大のギャンブル」(3頁)、すなはち、なりふり構はぬマネー増刷が「突然ハイパーインフレーションに変わる危険性は、きわめて現実味のあるもの」(4頁)と警鐘を鳴らす。

經濟學者の中には、インフレ(物價上昇)率が一定の目標値に達したところでマネーの供給を絞れば、ハイパーインフレにはならないとの意見がある。だがリカーズはさうした樂觀論を否定し、行動經濟學と複雜性理論に基づき「ごく小さな変化が破滅的な激変を招くことがある」(273頁)と指摘する。ドルの増刷を一定の範圍内に抑へても、取得したドルを片端から貴金屬、土地、建物、美術品などの實物資産に變へる人の割合がほんのわづか増えただけで、それが社會全體に爆發的に廣がる恐れはつねに存在する。ドルの崩潰は少しづつ段階的に進行するのではない。「二段階で――緩やかに、そしてあるとき突然に――起きるだろう」(270頁)

もし「ドルが歩んでいる道筋は持続不可能」(323頁)だとすれば、どうすればよいのだらうか。リカーズは(1)複數の準備通貨(2)SDR(特別引出權)(3)金本位制(4)混沌状態――といふ四つのシナリオを提示する。

このうち準備通貨をドルのほかユーロや人民元など複數にする案は、財政赤字や累積債務の問題が何も解決されないとリカーズは指摘する。IMF(國際通貨基金)が管理するSDRを準備通貨として使ふ案も、國の紙劵通貨をグローバルな紙劵通貨に置き換へるだけで、そのうちドルと同じく拒絶されて不安定を招く恐れがあると言ふ。

それでは金本位制への復歸はどうか。「十分な研究を踏まえて巧みに実施されれば安定をもたらす可能性が最も高い」ものの、殘念ながら「学者からはほとんど評価されていないため、この論争で勝者になる見込みはない」とリカーズはみる。

たしかに共和黨は「金委員會」の設置を綱領に入れたけれども、これは大統領候補者指名爭ひで善戰した、古くからの金本位制復活論者であるロン・ポールの支持者層を取り込む狙ひでしかないだらう。軍事的にも「強いアメリカ」を復活させる目標を掲げた共和黨が、マネーを印刷する自由を本氣で手放すとは思へない。金委員會は三十年前のレーガン政權時代にも設置されたことがあり、若き日のロン・ポールは委員としてこれに參加したが、多數派が下した結論は、金本位制復活に反對といふものだつた。

さうなると、殘る混沌状態に陷る可能性が高いといふことになる。リカーズによると、このシナリオはさらに二つに分かれる。世界的な金融の大混亂に直面し、結局、泥繩式に金本位制を選ぶ可能性と、「さらに悲惨な事態が続く可能性」である。最後のあまり愉快でないシナリオの可能性を少しでも小さくしたければ、金本位制をトンデモなどと嘲笑するのをやめ、現實的な選擇肢として理解を深めなければならない。
(「『小さな政府』を語ろう」でも公開)