民主主義を疑へ

衆議院が解散し、欝陶しい政治の季節が始まつた。衆院選についてメディアや言論人は相變はらず、政治を再生する一歩にせよとか、民主主義の原點に立ち返れとか、紋切型の言辭を竝べてゐる。今なすべきは、政治や民主主義そのものを疑ふことなのに、誰もそれを言はない。
若者を殺すのは誰か? (扶桑社新書)
衆院解散の直前に出版された、城繁幸『若者を殺すのは誰か?』(扶桑社新書)にも、さうした不滿を禁じえない。斷つておくが、私は城の主張の大部分に賛同する。城が表明する「ただひたすら自由競争を求める立場」(57頁)はもちろん支持するし、若者の經濟的苦境に同情する態度にも好感を覺える。しかしそんな城も、民主主義といふ躓(つまづ)きの石のために、議論が迷走してしまつてゐる。

民主主義の本質とは何か。ベンジャミン・フランクリンのものとされる有名な言葉は、それをずばりと言ひ當ててゐる。「民主主義とは、二匹の狼と一匹の仔羊(two wolves and a lamb)が投票して、晝食のメニューを決めるやうなものである」。もちろんこんな投票をすれば、多數決の結果、羊が狼たちに食べられてしまふのは目に見えてゐる。

建前上、少數意見の尊重が謳はれてはゐるが、いつたん決まつてしまへば、たとへば増税や徴兵に反對する少數の國民も、否應なく從はざるをえない。拒否すれば投獄され、下手をすると殺される。つまるところ、民主主義とは多數の暴力によつて少數の自由を奪ふ政治制度なのである。

現代オランダのリバタリアン、カレル・ベックマンとフランク・カーステンは今年出版した共著『民主主義を超えて』(未邦譯)で、さらに過激な表現でかう述べてゐる。「民主主義は裏口から忍び込む社會主義(socialism through the backdoor)である」
Beyond Democracy: Why democracy does not lead to solidarity, prosperity and liberty but to social conflict, runaway spending and a tyrannical government.
むろん城も、民主主義のはらむ問題に氣づいてはゐる。民主主義が「正義を実現する」とは誤解であり、正しくは「多数派にとっての正義を実現する」にすぎないと述べてゐる(172頁)し、解雇や賃下げが原則認められない硬直的な雇傭制度がいつまでも改まらず、若者がしわ寄せを食ふのは、日本が民主主義國で、若者より數が多く、投票率も高い高齢者に有利だからだとも指摘してゐる(97頁)。

しかし城は、それ以上議論を突き詰めようとしない。それどころか、日本人は「本当の民主主義を手に入れる」(178頁)べきだと説き、「声を上げず、投票もしない集団」は「すべてのツケ」を「押しつけられる」と述べ、若者世代に選舉權の行使を促す(173頁)。

けれどもそれでは問題の本質は解決しない。かりに投票の結果、若者が高齢者を上囘つたとしても、狼と羊が入れ替はるにすぎない。多數が少數を餌食にする構造はそのままである。私たちが目指すべきは、他者を犠牲にして自分が生き殘るゲームで勝者になることではない。ゲームそのものを終はらせることである。

氣になるのは、城が知らず知らずのうちに、民主主義の集團主義的思考に侵されてゐることである。たとへば城は、中高年を「いずれ年金財政はパンクする」とわかつてゐながら「何も手を打たなかった世代」であり、「選挙権がありながら、それを適切に行使することのなかった人たち」と斷罪する(81頁)。

しかし、かりに選舉權を「適切に行使」しなかつたことが罪だとして、なぜ城は、中高年全員がさうだと言ひ切れるのか。中高年の中にも、年金財政の將來を案じ、選舉權を「適切に行使」した人はゐるかもしれないではないか。個人を特定の屬性でひとくくりにし、斷罪したり、互ひの憎惡を煽つたりすることは、決して社會の調和をもたらさない。

また城は、社會保障強化のため「日本で生活するすべての人に、現役時代から否応なく強制貯蓄させておく」仕組みを作れと提言する(154頁)。だがそれは城が主張する「やりたいことをやるのが人生」(132頁)といふまつたうな考へと矛盾する。

老後への蓄へなど構はず、太く短く、「やりたいことをやる」といふ人もゐるし、今だけは收入をすべてやりたいことに注ぎ込みたいといふ時期もある。「強制貯蓄」はそれらの自由を妨げる。不效率や腐敗がつきものの政府による社會保障はむしろ全廢し、個人の貯蓄や民間の保險、慈善團體による支援などに切り替へるべきである。

民主主義は追求すべき正しい理念であるといふ幻想から目覺めない限り、私たちの自由は狹まる一方である。重要なのは、政治權力を誰がどのやうに握るかではなく、政治權力そのものを可能な限り小さくすることなのだ。
(「『小さな政府』を語ろう」でも公開)