マクドナルドは官僚制?!

豆腐と角砂糖は、どちらも白くて四角で、食べられる。しかしだからと言つて、豆腐と角砂糖が同じものだとは子供でも言はない。表面上似てゐても、本質はまつたく異なるからである。ところが經産官僚の中野剛志は、最近出版した『官僚の反逆』(幻冬舎新書)で、同種の珍論を繰り廣げてゐる。グローバル市場で成功した大企業は、官僚組織と同質であり、官僚組織と同じやうに「非人間化」されてゐると言ふのだ。
官僚の反逆 (幻冬舎新書)
中野は、社會學者ジョージ・リッツァーの主張に基づき、ハンバーガー大手マクドナルドの經營スタイルは「官僚制的組織の特質に酷似している」(73頁)と論じる。共通する特徴は次の四つと言ふ。(1)定型的で無駄のない流れ作業に示される「効率性」(2)サイズやコストといつた數値を評價の基準とする「計算可能性」(3)いつどの店舖で注文しても味が同じ「予測可能性」(4)限定的なメニューや坐り心地の惡い椅子で消費者の行動を縛る「支配」――である。

これらの共通點から、中野は「官僚制の原則を徹底したのが、まさにマクドナルド」(77頁)と斷じる。また、マクドナルドの經營手法が他の企業や業種に廣がつた現象を指し、現代の資本主義は「官僚制の全盛期」だと書く。さらに、規制緩和や自由化による市場の擴大は「官僚制化を強化することにほかならない」と述べる。理由はこれから述べるが、倒錯した珍説としか言ひやうがない。

しかし豆腐と角砂糖の區別がつく人も、一見もつともらしい中野の説には丸め込まれてしまふかもしれない。と言ふのも、中野とリッツァーの主張は、社會學の權威であるマックス・ウェーバーの理論を後ろ盾としてゐるからだ。「効率性」や「計算可能性」を特徴とする官僚制は、近代資本主義の下で、本來の場所である政府内にとどまらず、私企業にも廣がつたとウェーバーは主張した。

だがウェーバーのこの主張は誤つてゐる。表面的な類似にとらはれ、企業と政府の本質的な違ひを無視してゐるからである。その違ひとは、企業は消費者が商品・サービスと引き換へに自發的に支拂つた代金によつて營まれるのに對し、政府は納税者から強制的に取り立てた税金によつて維持されるといふことである。

企業と異なる官僚制の特徴を、經濟學者ルートヴィヒ・フォン・ミーゼスはかう表現した。「(官僚にとつて)良い經營の基準(criterion of good management)とは、消費者から支持され、費用以上の收入を得るかどうかではない。一連の官僚的規則に嚴格に從ふかどうかである」。ミーゼスはウェーバーと親交があり、その學問を一面高く評價したが、官僚制への見方はまつたく異なる。ミーゼスはウェーバーが見逃した本質を正しく見拔いた。

この本質的違ひは、企業經營者と政府官僚の判斷力の格差につながる。企業經營者は、事業の收入と費用を比較し、儲かつてゐる(利潤)か損をしてゐる(損失)かによつて、その事業を擴大すべきか縮小すべきかを判斷できる。ところが官僚は、どれほど誠實であつても、そのやうな判斷ができない。納税者が政府のサービスを氣に入らうと入るまいと、税收には影響しないからだ。

政府がしばしば費用に無頓着に、大した需要もない事業に資源を無駄に注ぎ込む一因はここにある。もしマクドナルドが本物の官僚組織なら、グローバル展開はおろか、創業してすぐ潰れてゐたに違ひない。事實上政府の支配下にある規制業種を別とすれば、どれほど巨大であらうと、私企業は私企業であり、政府とは異質である。

だから私企業の經營手法が一見「官僚的」であつても、それが消費者に歡迎され、その結果利潤につながるのであれば、何の問題もないどころか、むしろ人間社會に貢獻する。

ところが中野はリッツァーに從ひ、マクドナルド式經營を「非人間化」と非難する(78頁以下)。たとへばわざと店の椅子の坐り心地を惡くして長居できないやうにし、客の囘轉と利益率を高める仕掛けがよくないと言ふ。見當違ひも甚だしい。もし椅子が快適で、大勢が長居をすれば、迷惑するのは待たされる客である。マクドナルドが利潤追求のため坐りにくい椅子を使つてゐるとすれば、それは消費者にも待たずに入れるといふ利便をもたらすのである。

また中野は、ファストフード店の業務は「単純作業の反復であるため、従業員には、特殊なスキルをもつ必要もなければ、創造的であることも許されない」と批判する。しかしだからこそファストフード店は、特殊なスキルや創造性を持たない者が勞働市場から排除されず、收入を得る貴重な場になりうる。もし世の中のあらゆる職場で、特殊なスキルと創造性が求められたら、どちらも持たない者は失業するしかなく、收入はゼロである。これこそ「非人間化」であらう。

一方、中野は政治について、格調高くこんなことを書く。「『国家百年の計』というように、国家運営の視野は企業経営よりはるかに長い。理想を言えば、公務員〔=官僚〕は、自分の定年よりも長い時間、場合によっては寿命よりも長期にわたる視野に立って仕事をする必要がある」(53頁)

しかしすでに述べたやうに、政府は企業と違ひ、利潤損失といふ判斷基準を持たない。羅針盤のない船のやうなものだ。舵を握るのが官僚だらうと政治家だらうと、正しい進路を知る手立てはない。ましてや百年も先を見通せるはずがない。中野の出身官廳である經産省が中心となり推し進めた日本の原發行政は、わづか六十年足らずで、國民生活を甚大なリスクにさらすことになつた。

もちろん企業も誤りを犯す。だが政府と異なり、利潤の羅針盤を頼りに、航路を絶えず修正できる。どちらが安心で快適かは言ふまでもなからう。そのやうにして多くの人々に選ばれた代表格が、マクドナルドをはじめとするグローバル企業なのだ。官僚や政治家は國民の幸せを願ふなら、どうか能力の限界をわきまへ、何もしないでゐてもらひたい。
(「『小さな政府』を語ろう」でも公開)