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市場經濟への濡衣

市場經濟はしばしば、經濟・社會問題の元兇として責められる。しかしそれはたいていの場合、根據のない濡衣(ぬれぎぬ)である。眞犯人は、これもたいていの場合、政府である。

2013年 大転換する世界 逆襲する日本
經濟評論家の三橋貴明は、著書『2013年 大転換する世界 逆襲する日本』(徳間書店)で、自由な市場經濟(「グローバル化」)を「悪」(20頁)だとして非難する。おもな理由は三つある。第一に、特定の集團に所得を集中させ、不平等をもたらす。第二に、自由貿易によつて失業が増える。第三に、失業増の結果、勞働者が貿易相手國を恨みに思ひ、國際關係が惡化する――。

しかしこれらはどれも、市場經濟にたいする濡衣である。順番に反論しよう。第一に、所得の集中である。市場經濟はたしかに、一部の成功した企業家を裕福にし、經濟格差を廣げる側面がある。だがそのことは、他の人々を貧困で苦しめることを意味しない。それどころか、自由な市場經濟では、企業家は、同じ品質なら値段の安い商品・サービスを提供することで成功するのだから、むしろ貧しい人々の出費を減らし、暮らしを樂にする。

このやうな健全な姿でなく、歪んだ姿で所得の集中をもたらすのは、政府である。たとへば三橋を含む多くの論者が、富を獨占する惡玉として指彈するのは金融業者だが、金融業者が巨額の利益を稼ぐことができるのは、中央銀行の政策のおかげである。三橋自身、かう述べてゐる。「FRB〔聯邦準備理事会〕の量的緩和により、アメリカの銀行にドルが供給されたとしよう。それをヘッジファンドが低利で借り入れ、原油先物や食料先物に投じ、手数料で大儲けをしたとする。……」(266頁)。三橋は自分で「FRB」と書いておきながら、その罪を市場經濟になすりつけてゐる。

第二に、自由貿易が失業を増やすといふ言ひがかりである。三橋は次のやうに主張する。たとへば海外の安い農産物が日本市場に輸入され、多くの國内農家が廢業に追ひ込まれた場合、もし日本が完全雇傭の状態にあれば、廢業した農家は即坐に別の仕事に就くことができる。しかし實際には日本を含め、完全雇傭を實現してゐる國など現在の世界には一つもない。だから自由貿易失業率を高める――。

だがそもそも、完全雇傭が實現してゐない理由を、三橋は書いてゐない。それは政府による勞働市場の規制である。勞働市場が自由であれば、ふつうの商品と同じく、勞働サービスの價格(賃金)が十分下がることにより、需要と供給が釣り合ひ、賣れ殘り(失業)はなくなる。ところが政府が最低賃金を規制してゐるせゐで、賃金が十分下がらず、短期間で終はるはずの失業がいつまでも長引くのである。失業を増やしたくなければ、勞働市場の規制を廢止すればよい。貿易を規制し、値段の高い國産品しか買へなくすれば、勞働者や失業者の生活はむしろ苦しくなる。

ちなみに三橋は、貿易は「所得の奪い合い」(56頁)だと書いてゐる。いやしくも經濟の專門家を名乘る人物が、こんなとんでもないことを書くのは、見たことがない。外國との取引を私たちは貿易と呼ぶが、それは國内での取引と經濟的には何の違ひもない。もし貿易が「所得の奪い合い」なら、同じ日本人でも、たとへば三橋が本を出版し、それを讀者に賣れば、讀者の所得を奪つたことになる。いやはや、ひどいことをするものだ。

第三に、自由貿易で失業が増えると、相手國への恨みから國際關係の緊張をまねくといふ主張である。いま述べたとほり、必要以上の失業をもたらす原因は、自由貿易ではなく、政府にある。だから失業が國際緊張をもたらすとしたら、その責任も政府にある。せめて政府は、緊張を和らげる努力をしなければならないだらう。ところが實際には、政府や政治家は、外國への憎しみを煽り立てるやうな行動を率先してとる。

最近でいへば、領土問題である。國にさきだつて尖閣諸島の贖入に動いた石原慎太郎東京都知事は、贖入の狙ひについて「國が買ひ上げると支那が怒るからね」と、支那(註)を挑發することが目的だとあからさまに語つた。もちろん支那の政治家も、そして竹島をめぐつては韓國の政治家も、日本を挑發するやうな行動をとつてゐる。國際關係を惡化させる最大の要因は、かうした政府・政治家の言動であり、市場經濟のせゐにするのはまつたくのお門違ひである。

政府・政治家は、領土問題には國益がかかつてゐると主張する。しかしよく取り沙汰される天然資源問題は、國際法學者の小寺彰(10月9日附日本経済新聞)が指摘するとほり、領土問題を解決しなくても處理できる。竹島問題があつても、日韓間では漁業協定や大陸棚開發にかんする協定が締結されてゐるし、尖閣諸島問題があつても、東シナ海漁業について日中漁業協定が成立してゐる。

三橋は「国民の安全保障が脅かされている以上、経済はそれに従属しなければならない」(218頁)と書き、支那や韓國との經濟關係斷絶も辭すべきではないと主張する。しかし實際に國民の安全保障を危ふくするのは、經濟の道理を無視してナショナリズムを煽る政府・政治家であり、それに迎合する言論人なのだ。

(註)石原氏の意圖はともかく、支那(シナ)は英語のChinaと語源を同じくする言葉であり、この言葉そのものに差別の意味はない。「東シナ海」「インドシナ半島」がふつうに使はれるのに、「シナ」は差別語だといふのはをかしい。むしろ中華思想に基づく中國といふ呼稱のはうが、差別の意識を含んでゐる。

(「『小さな政府』を語ろう」「Libertarian Forum Japan」でも公開)