經濟危機の犯人

安倍内閣が事業規模二十兆圓超にのぼる緊急經濟對策を閣議決定した。今年度補正豫算案の規模は十兆圓超で、リーマン・ショック後の2009年に麻生内閣が組んだ十五兆圓弱に迫る。かうした大型の經濟對策が正當化されるのは、經濟危機は市場經濟の失敗によつて起こり、危機が深刻であるほど、政府の大規模な對策が必要だと多くの人が信じてゐるからである。
メルトダウン 金融溶解
しかしこの思ひ込みは誤りだ。そもそも經濟危機をもたらすのは自由な市場經濟ではなく、政府なのである。それを理解するために、リーマン・ショックサブプライム危機を分析したトーマス・ウッズメルトダウン 金融溶解』(古村治彦譯、成甲書房、2009年)をぜひ讀んでおきたい。

ウッズは、米國の經濟危機を招いた要因を六項目列舉する。いづれも政府がかかはる。第一は、聯邦住宅抵當金庫(ファニーメイ)と聯邦住宅金融抵當金庫(フレディマック)である。ともに聯邦議會によつて創設された公社で、銀行から住宅ローン債劵を買ひ取る。民間の競爭相手に比べると税制面で優遇され、規制も緩かつた。

世間では、二公社が危機におちいれば政府が税金を使つて救ふに違ひないと考へてゐた(この考へは、2008年に政府が二公社を管理下に置いたことで、正しかつたことが證明された)。この「暗默の救濟保證」のおかげで、二公社は投資家から莫大な資金を集め、銀行からの住宅ローン債劵の贖入に充てることができた。二公社の財政危機が取り沙汰され、監視強化を訴へる聲が上がつても、政治家は、そんなことをすれば低所得者層が住宅ローンを借りられなくなると言つて反對した。かうして住宅市場で過剩な資金があふれた。

第二は、地域再投資法に代表される、住宅ローン貸附時の積極的差別是正措置である。地域再投資法は、マイノリティに對する銀行の貸附數が當局の定める基準を下囘つた場合、人種差別だとして裁判に訴へることができる、といふ内容のものである。政治的壓力もあり、銀行はマイノリティへの貸附基準を引き下げた。これは結果的に、住宅バブルの崩潰によりマイノリティ自身を苦しめることになる。

第三は、政府が誘導した住宅への投機である。政府は、持ち家世帶を増やすといふ方針の下、マイノリティなど低所得者層に限らず、貸附基準の緩和を後押しした。格附會社は、規制によつて競爭から守られてゐることから、政府が擴大を後押しする住宅ローンの信用度引き下げを行はなかつた。

第四は、住宅取得優遇税制である。米國の家庭にとつて最大の税控除は、住宅ローン金利である。住宅を借りてゐる人やローンを借りずに住宅を贖入した人たちは、住宅にかかるコストを税控除の對象にすることができない。「連邦政府は、人々に住宅を借りるよりも買うように、かつできるだけ住宅ローンを借りて買うように誘因を与えている」(67頁)。

ウッズは、自分はかうした税金の優遇や控除を廢止すべきだと言ひたいのではない、と釘を刺す。税控除は「あらゆる投資や購入に適用されるべき」であり、「政府の政策による、経済の特定の分野に対しての刺激策として使われないようにするべき」(68頁)なのである。

第五は、いよいよ「住宅市場のバブルを作り出した張本人」(70頁)が登場する。聯邦準備制度である。2001年9月11日の同時多發テロの發生以降、同制度理事會議長アラン・グリーンスパンは續けざまの金利引き下げで經濟のテコ入れをした。また政策金利を2003年7月から一年間、一パーセントに据ゑ置いた。その結果、「通貨供給量は劇的に増加し、2000年から2007年までに発行されたドル通貨量は、それまでのアメリカの歴史で発行されたドル通貨の総額を上回った」。

かうして創造された通貨と融資が住宅市場へと大量に流れ込んだ。經濟の安定成長をもたらすと信じられてきた中央銀行みづから、住宅バブルを煽り、その崩潰と深刻な不況を招いたのだ。

最後の第六は、「大きすぎて潰せない」といふ迷信である。大手金融機關は、自分たちは大損しないし、いざとなれば米國民が税金を使つて損失を穴埋めしてくれる、といふ妙な自信を持つて金融市場で活動してきた。さうしたムードをかもし出したのもグリーンスパンである。1994年のメキシコ通貨危機、1998年のヘッジファンド、ロングターム・キャピタル・マネジメントの經營危機、2001年の同時多發テロ以降と、苦境に陷つた銀行や企業にふんだんに資金を提供し、助けてきた。

この結果、金融機關の經營者は過大なリスクを取るやうになつた。大銀行や大企業を潰すと經濟に惡影響を及ぼすといふ批判があるが、ウッズはこれを否定する。2008年9月、投資銀行リーマン・ブラザーズが倒産した際、すぐに受け皿が見つかり、「何も不都合なことは起きなかった」(95頁)。

經濟危機の犯人は自由な市場經濟ではなく、市場に介入する政府だつた。それにもかかはらず、現在も政府や政治家、メディアの多くは危機の解決法として、より廣範圍な政府介入、より大きな財政支出、より大量の通貨發行が必要だと口をそろへる。政府の失敗そのものによつて、政府權力の増強が正當化される。米國でも日本でも、そんな出鱈目が堂々とまかり通らうとしてゐる。
(「『小さな政府』を語ろう」「Libertarian Forum Japan」に轉載)