アダム・スミスを崇めるな

アダム・スミス(1723-90)といへば、「經濟學の父」として有名である。主著『國富論』(1776)は經濟學の古典として名高い。けれどもスミスは、ほんたうに「經濟學の父」だつたのだらうか。『國富論』はそれほどすばらしい名著なのだらうか。この二つの問ひにたいする答へは、どちらもノーである。
新・国富論―グローバル経済の教科書 (文春新書)
事實をいへば、經濟學の基礎を築いた「父」はスミスではないし、『國富論』は經濟にかんする重大な誤りを含む書物である。だからスミスや『國富論』をむやみに崇めると、その誤りを増幅して振りまくことになりかねない。一つの見本は、同志社大教授の浜矩子が昨年暮れに出版した『新・国富論――グローバル経済の教科書』(文春新書)である。長くなるので、今囘はまづ、スミスを「經濟學の父」と呼ぶ誤りについて書く。

スミスを終始「先生」と呼んで崇め奉る浜は、當然ながら、スミスを「經濟學の父」とする通説を疑はうともしない。「スミス先生は経済学の生みの親なのである。彼の前に、イロハは無かった。先生の洞察によって、初めて経済学のイロハが確立されたのである」(102頁)と述べ、「先生が経済学を確立するまで、経済学はなかったのである」(91頁)と言ひ切る。

しかし經濟學の基礎を築いたのはスミスではない。最も重要な先驅者は、『國富論』出版の二百年も前にさかのぼる。商業が榮えた中世スペインで活動した、後期スコラ哲學者たちである。たとへばビトリアは政府による貿易規制に反對し、デ・ソトは財産の私有を擁護した。經濟學者ヨーゼフ・シュンペーターはかれらについて「他のいかなる集団よりも科学的経済学の『建設者』たるに近かった」(東畑精一・福岡正夫譯『経済分析の歴史』上、岩波書店、171頁)と述べてゐる。
経済分析の歴史〈上〉
スミスは師の哲學者フランシス・ハチソン(1694-1746)から、スコラ哲學者の業績を教はつてゐた。そのほか、アイルランドに生まれフランスで活躍したリシャール・カンティヨン(1680?-1734、英語讀みでリチャード・カンティロン)をはじめ、同時代に多くの經濟研究の先達がをり、かれらの著作にも親しんでゐた。

それではスミスと『國富論』の獨自性はどこにあるのか。シュンペーターによれば、『國富論』は「〔出版された〕1776年において完全に斬新であったような、ただ一個の分析的な観念、原理もしくは方法をも含んでいない」(同、329頁)。つまり、學問としての獨自性はなにもないのである。

しかも、上述のやうにスミスは過去および同時代の著作家から多くを學んだにもかかはらず、『國富論』には、友人だつたデヴィッド・ヒューム(1711-76)などごく一部を除き、かれらの業績をほとんど明記してゐない。「労働こそ富の源泉である」「他人に迷惑をかけない限りで人は自分の好きなことをする自然権を持っている」と説き、スミスに直接影響をあたへた師ハチソンにいたつては、名前すら一度も出てこない。シュンペーターによれば「彼〔スミス〕は先蹤の足跡をダーウィンのように、決して率直には打ち明けなかった」(同、326頁)。かうしたスミスのやり方は、現代ほど先行研究の明示にうるさくなかつた當時の慣習に照らしても、不適切と言はざるをえない。

それでも、スミスが先達の優れた業績を取りまとめ、經濟の正しい諸原則を體系的に示したのであれば、獨創性はなくとも、それなりに高く評價できるだらう。ところがさうではない。スミスは『國富論』で、經濟の原理に反する誤つた議論を展開してゐる。それは現代にいたるまで惡影響を及ぼす、重大な誤りだつた。
(「『小さな政府』を語ろう」「Libertarian Forum Japan」に轉載)