古びない眞理

經濟學は時事問題を取り扱ふことが多いし、目新しい理論がしばしば脚光を浴びるので、何十年も昔の入門書など價値がないと思ふかもしれない。だがそれは誤解である。經濟學は人間の行爲についての學問であり、人間の本質が變はらないかぎり、過去に見出された眞理が古びることはない。米國のジャーナリスト、ヘンリー・ハズリットが1946年に著した『世界一シンプルな経済学』(村井章子譯、日経BPラシックス、2010年)を讀めば、それがよくわかる。
日経BPクラシックス 世界一シンプルな経済学
例を三つ舉げよう。第一に、現在の日本でも政治家や一部の經濟評論家から根強く支持される公共投資について、ハズリットは、公共投資が雇傭を創出するとか、富を生むといつた考へは幻想だと斬り捨てる。公共投資で橋を建設するとしよう。橋の建設に使はれるのは税金である。納税者は、自分が一番必要とするものに使へたはずのお金を取られることになる。ハズリットは續ける。


したがって、橋建設プロジェクトで公共の雇用が一つ創出されるごとに、どこかで民間の雇用が一つ失われたはずだ。橋の建設に雇われた労働者は目に見えるし、彼らが働くのも見える。このため、雇用創出という政府が掲げる名目は大いに説得力を持ち、おそらく多くの人が納得するだろう。だがじつは、存在しなかったがために目に見えないものがある。それは、納税者が〔橋の建設にかかる〕一〇〇〇万ドルを失ったせいで、生まれなかった雇用である。(38頁)
だから建設プロジェクトで實現したのは、好意的に言つても、雇傭の轉換でしかない。公共投資のまやかしを見拔くには「直接的な結果だけでなく間接的な結果にも注意を払うこと」(40頁)が必要なのである。

第二に、「完全雇傭を實現せよ」といふ誤つた政治スローガンである。米國でも日本でも、政治家はしよつちゆう失業の減少を目標に掲げる。だがハズリットは指摘する。そもそも經濟の目標とは、最小の努力で最大の成果を手にすることである。「人類が成し遂げた経済的進歩とは、同じ労働でより多くを生産することに尽きる」(107頁)。だから人間は、自分で背負はないでロバに背負はせるのであり、荷臺に車輪をつけ、鐵道を發明し、トラックを發明してきたのである。機械化もその延長線上にある。

いいかへれば、「目的はあくまで生産であって、雇用は手段に過ぎない」(108頁)。もし生産の最大化にこだはらず、完全雇傭だけを目標にするのなら、あつけないほど簡單に達成できる。ヒトラーは大規模な兵力増強計劃で完全雇傭を實現したし、第二次世界大戰は參戰國すべてに完全雇傭をもたらした。奴隸は完全雇傭だし、刑務所にゐる囚人も完全雇傭である。このやうに「強制力を使えば完全雇用は実現できる」。

だから議員が「生産最大化法案」ではなくて「完全雇傭法案」などといふものを國會に提出するのは、本末顛倒である。ハズリットが批判するとほり、そこでは「手段が目的と化し、肝心の目的は忘れられている」(109頁)。完全雇傭のスローガンは失業者には受けがいいかもしれないが、生産をゆがませ、亂すやうな雇傭水増しを講じれば、勞働者の生活水準はむしろ低下するだらう。

第三に、政府による特定の産業の救濟である。衰頽する産業を助けるために補助金を出したり新規參入を防いだりする根據としてよく持ち出されるのは、「自由競爭によつてこの産業をさびれるにまかせ、消滅させてしまつたら、經濟全體を冷え込ませることになるだらう。しかし何とか手立てを講じてこの産業を存續させれば、誰もが潤ふ」といつた主張である。だがこの主張も間違つてゐるとハズリットは指摘する。

「経済の拡大とはあらゆる産業が同時に拡大することだと考えるのは、重大な誤りである」(162頁)。新しい産業が勢ひよく成長するときには、多くの場合、古い産業は衰へ死んでゆかなければならない。それによつて、新しい産業に必要な資本や勞働力が古い産業から解き放たれるからである。

もし馬車を人爲的に存續させようとしてゐたら、自動車産業は伸び惱んだだらうし、自動車産業に依存する産業もすべて停滯していただらう。雇傭された勞働者や投下された資本を守りたいがために、ある産業を死から救はうとするのは、馬車を後生大事にするとの同じことである。「経済の活力と健康を保つためには、伸びてゆく産業が伸びていけるようにするのと同じくらい、死にゆく産業を静かに死なせることが必要なのだ」。ハズリットはかう強調する。

以上はすべて、經濟學の古びない眞理である。これらの眞理の背景には、共通する鐵則がある。ハズリットによれば、經濟學といふものはたつた一つの教へに還元することができ、それはたつた一つの文章で表すことができる。すなはち「経済学とは、政策の短期的影響だけでなく長期的影響を考え、また、一つの集団だけでなくすべての集団への影響を考える学問である」(8−9頁)。本書の原題『一つの教への經濟學』(Economics in One Lesson)はここから來てゐる。

世界に悲劇をもたらすやうな經濟學上の誤りは、その大半が、この教へを無視した結果にほかならないとハズリットは言ふ。短期的影響だけを見て長期的影響を見落とすか、ある特定集團への影響だけを見て他の集團への影響を顧みないかの、どちらかまたは兩方が原因となり、誤りは起こる。

ハズリットが生きた時代の米國同樣、今の日本でも、さうした近視眼的な政策による經濟の混亂は絶えることがない。それは洋の東西や時代を問はない政府の愚かさを示すとともに、人間にかんするハズリットの洞察の深さを證明してゐる。
(「『小さな政府』を語ろう」「Libertarian Forum Japan」に轉載)

筆者の本

デフレの神話――リバタリアンの書評集 2010-12〈経済編〉 (自由叢書)

デフレの神話――リバタリアンの書評集 2010-12〈経済編〉 (自由叢書)