疑似科學を信じるな

かつてレーガン米大統領は、政策判斷に占星術師の意見を取り入れてゐたことが曝露され、世間の物笑ひになつた。しかし少なくとも現在の日本人にレーガンを笑ふ資格はない。占星術と五十歩百歩の疑似科學によつて經濟政策を決めようとしてゐるからだ。その疑似科學の名を、現代マクロ經濟學といふ。

たとへば、リフレ政策を強く支持する内閣官房參與の浜田宏一(エール大學名譽教授)は、著書『アメリカは日本経済の復活を知っている』(講談社)で「世界経済の奇跡といわれる日本の高度成長は、緩やかなインフレ〔物価上昇〕とともに達成された」(29−30頁)と指摘し、これを理由の一つとして、だから日本經濟を復活させるには金融緩和政策でインフレを起こさなければならないと主張する。だがこれは典型的な疑似科學の思考法である。

過去に二つの事象が同時に起こつたからといつて、將來もさうなるとは限らないし、ましてや一方(インフレ)を起こせば他方(經濟成長)も起こる保證はない。言つてみれば、「歴史上、牡羊坐生まれにはリーダーシップに優れた人物が多い。だから牡羊坐生まれはリーダーシップに優れてゐる。したがつて次の仕事は牡羊坐生まれに任せなさい」といふ占星術師の御託宣と變はらない。

じつはこの思考法は、浜田に限らず、現代のマクロ經濟學者の大半が陷つてゐるものだ。たとへば、リフレ政策の本家といへるミルトン・フリードマンは、經濟學の目的は「豫測」であつて、豫測を可能にする理論ならば、たとへその理論が「虚構」を前提としてゐても構はないといふ態度をとつた。極端に言へば、たとへ占ひでも、その豫測が的中する限りは、理論として認めようといふわけである。

科學と疑似科學の違ひは何かといふ問題は、突き詰めると奧が深く、じつは疑似科學の危ふさは、科學全般につきまとふものだともいへる。本格的に論じようとすれば、カール・ポパー『科学的発見の論理 』、トーマス・クーン『科学革命の構造』、ナシーム・ニコラス・タレブブラック・スワン』といつた分厚い本を讀まなければならない。少々荷が重いので、學術書でないにもかかはらず、科學的思考が陷りがちな危ふさを鮮やかに示した短い讀み物を紹介しよう。G・K・チェスタトンブラウン神父の知恵』(中村保男譯、創元推理文庫、1982年)に收められた短篇推理小説器械のあやまち」である。
ブラウン神父の知恵 (創元推理文庫 (110-2))
チェスタトンが創造したブラウン神父は、英國カトリック司祭でありながら、數々の難事件を解決する名探偵でもある。警察の搜査がさまざまな事實から犯人を特定する「歸納法」であるのに對し、ブラウン神父の推理は、普遍的な原理を個別のケースにあてはめて正解を導く「演繹法」だとよく指摘される

「器械のあやまち」で扱はれるのは、ブラウン神父が米シカゴの刑務所つき神父として働いてゐた若い頃に起こつた殺人事件である。刑務所の副所長は、捕へた容疑者を嘘發見器にかけた結果、眞犯人に違ひないと斷じる。「青鷺」「鷲」「梟」といつた鳥の名に交へ、被害者の一人とされる人物の名を意味する「隼」を見せたところ、嘘發見器がひどい動搖を示したからである。

しかしブラウン神父はこの判斷を信じない。そして「器械はぜったいにうそはつけない」と主張する米國人の副所長にかう反論する。「器械を動かすのは……人間ですよ。わたしの知っているかぎり、人間こそいちばん信頼できぬ器械なんです。……観察のしかたが正しかったかどうか、どうしてそれがわかります?」(128−129頁)。實際、容疑者は殺しの眞犯人などではなく、別の意外な人物だつた。誰だつたかはネタバレになるので書かないが、ヒントとして神父の含蓄に富む言葉を記しておかう。「なにかをぴたりと指しているステッキには一つ不便な点がある……ステッキの反対のはしが正反対の方向を指すということだ」(115頁)
デフレの神話――リバタリアンの書評集 2010-12〈経済編〉 (自由叢書)
事件から二十年後、心臟の反應を利用した新しい精神測定法が米國の犯罪搜査で使はれ、評判になつてゐると聞かされた神父は、昔を思ひ出しながら苦々しげにかう語る。

科学者というやつは、なんてセンチメンタルなのだろう……アメリカの科学者ときたら、それに輪をかけて底ぬけのセンチメンタリストだ。心臓の鼓動からなにかを証明するなんて、アメリカ人以外のだれが思いつく。それじゃまるで、女の人が顔を赤くしたからおれはその人に愛されているんだと考える男とちっともかわらないセンチメンタリストだ。(115頁)

過去に經濟が成長したときにはインフレだつたから、インフレになれば經濟が成長するといふマクロ經濟學者の主張を神父が耳にしたなら、愚かな科學者たちそつくりだと苦笑するに違ひない。一つ違ふのは、ブラウン神父は作中で、誤つた科學的手法の犠牲になりかけた容疑者を見事に救つたけれども、今の日本では、マクロ經濟學といふ疑似科學に基づく狂つた政策から國民が逃れられさうにないことである。
(「『小さな政府』を語ろう」「Libertarian Forum Japan」に轉載)

筆者の本

デフレの神話――リバタリアンの書評集 2010-12〈経済編〉 (自由叢書)

デフレの神話――リバタリアンの書評集 2010-12〈経済編〉 (自由叢書)