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保守は經濟がわからない

經濟

1989年前後にソ聯・東歐の社會主義諸國が崩潰し、左翼言論人が信奉するマルクス經濟學の威信は地に墮ちた。それ以來、讀者を増やしたのが保守派言論人の經濟論である。「左」の經濟論が間違つてゐたのだから、「右」のそれは正しいだらうと人々が思ひこむのも無理はない。ところが違ふ。保守の經濟論は左翼と同じくらゐ、場合によつてはそれ以上に、ダメな代物なのだ。

なぜ、保守の經濟論はダメなのか。政府と國民の區別がつかないからである。政府にとつて都合の良いことは、國民にとつても良いことであり、國ぜんたいにも良いことだと信じて疑はない。政府と國民に利害の不一致や對立があることは、見て見ぬふりをするか、そもそも氣づきもしない。しかしそれでは經濟はわからない。現代の經濟問題の大半は、政府が國民の經濟活動に介入した結果、引き起こしたものだからだ。

なかでも政府と國民の對立を無視してけつして論じられないのは、金本位制である。政府が好き勝手に通貨を發行し國民が保有する通貨の價値を落とさないやう、通貨發行を金と交換可能な範圍内に制限する仕組みだからだ。
世界は金本位制に向かっている (扶桑社新書)
最近刊行された宮崎正弘世界は金本位制に向かっている――金(ゴールド)で世界支配を目論む中国』(扶桑社新書)は、金本位制への保守派の無理解を露呈してゐる。金や通貨にかんするエピソードはそれなりに面白いものの、保守派評論家で國際エコノミストを名のる宮崎は、政府の權限を縛るといふ金本位制の肝腎の意義を理解できず、そのためにあちこちでをかしな記述をしてゐる。例を三つだけ舉げよう。

第一に宮崎は、大幅な金融緩和を柱とする安倍晋三政權の經濟政策(アベノミクス)のおかげで「ようやく日本経済の再生展望が明るくみえはじめた」(166頁)とほめちぎる。しかし政府が中央銀行を通じ際限なく通貨の發行を増やす行爲は、金本位制によつて通貨の發行を嚴しく制限することとはまさしく正反對で、完全に相容れない。

アベノミクスへの期待で株式相場がたちまち急上昇したと嬉しがる宮崎は、自分が言及してゐる金本位制復活論者のロン・ポール元米下院議員が「富は、何もないところから中央銀行がお金を刷って生み出されるものではない」と指摘してゐることを知らないやうだ。

通貨の量を増やせば、新しい通貨を最初に使ふことのできる政府關係者や親しい一部の金融機關・企業などは潤ふが、一般國民があとから通貨を手にする頃には、通貨増加の影響で物價が上昇する(下落しなくなる)から、その分損をする。また通貨増發は人爲的な好景氣を引き起こして經濟資源を浪費し、反動で不景氣をもたらす。

第二に宮崎は、金本位制の弱點として「戦時には成立しにくいという性質」を舉げる(181頁)。たしかに金本位制の下では、政府は好きなだけお金をつくりだすことができないから、税收か借り入れ(國債)の範圍内でしか軍事費を使へない。だからたいてい、戰爭になると、通貨を自在に發行して軍事費を増やせるやうに、金本位制を停止する。

しかしこれはほんたうに、金本位制の弱點だらうか。なるほど、權力の坐にある政府關係者にとつては、資金不足で戰爭に負けるなどといふ事態は、なんとしても避けたいに違ひない。だが一般國民からすれば、それは程度問題である。國の獨立は保つに越したことはないかもしれないが、そのために戰爭がいたづらに長引き、自分自身や親しい人々の生命が失はれては、元も子もない。一部のきはめて愛國的な人士や、負けたら皆殺しにされると政府から洗腦された國民を除けば、さう考へるのが自然であらう。

軍事費に齒止めがかからないと、戰爭の犠牲者にも限りがなくなる。各國が金本位制を停止して戰つた第一次世界大戰では、戰車、毒ガス、航空機、潛水艦、機雷といつた新兵器の使用により約九百萬人もの死者を出した。金本位制を維持しておけば、これほど多くの犠牲は避けられただらう。宮崎の誤解とは逆に、金本位制の眞價は戰時にこそ發揮されるのである。經濟學者ルートヴィヒ・フォン・ミーゼスはかう述べてゐる。「金本位制の批判者が最大の缺點とみなすものは、金本位制の支持者が最大の利點とみなすものとまさに同じである」

第三に宮崎は、通貨の通用力と政府の覇權を混同し、「金で世界支配を目論む中国」(副題)だの「ワシントンは中国の通貨覇権を許さない」(59頁)だのと書く。だがある通貨が廣く利用されるのは、その價値が政府によつて損なはれないと人々が信頼するからであり、許すも許さないもない。かりにシナ政府が覇權をめざして軍備増強のため人民元を過大に發行すれば、その價値は損なはれ、通用力はひとりでに消え失せるだらう。

ついでに言へば、宮崎が引用した西尾幹二の次の文章も、ナショナリズムに醉つた保守派言論人らしい誤りをさらけ出してゐる。「〔江戸時代になると〕かつて宋銭を輸入することで経済圏を中国に奪われていた日中の立場は逆転し、日本の銅銭に中国の経済が依存するようになっていました」(100頁)。外國の通貨を使つたからといつて、その國に「依存」することにはならない。自由な國際經濟では、人は發行元を問はず、價値の薄まりにくい通貨を使ふだけのことだ。

社會主義は間違つてゐた。しかし國民を犠牲にして自己の利益を得ようとするのは、社會主義政府だけではない。このことを保守派が悟らないかぎり、まともな經濟論を書くことはできないだらう。
(「『小さな政府』を語ろう」「Libertarian Forum Japan」に轉載)

筆者の本

デフレの神話――リバタリアンの書評集 2010-12〈経済編〉 (自由叢書)

デフレの神話――リバタリアンの書評集 2010-12〈経済編〉 (自由叢書)