國家頼みで資産は守れない

街を歩いてゐるとき、逃走中の強盜犯が兇器を手に現れたら、どうすればよいか。もちろん、できるかぎり遠くへ逃げなければならない。身を守りたければ、間違つても強盜犯に近づいてはいけない。資産を守る場合も同じである。個人の資産にとつて最大の脅威は、それを奪はうとつねにうかがふ國家である。資産を守りたければ、できるだけ國家の目を避け、遠ざかるにしくはない。ましてや破産の危機に瀕し、延命に必死の國家に近寄るのは、自殺行爲である。ところが作家の橘玲は最新作『日本の国家破産に備える資産防衛マニュアル』(ダイヤモンド社)で、その自殺行爲を讀者に勸めてゐる。
日本の国家破産に備える資産防衛マニュアル
橘は巨額の公的債務を抱へる日本について「国家が無限に借金することはできないのですから…このままでは危機はいずれ現実化するでしょう」(45頁)とみる。その診斷は正しい。續けて橘は「その影響が計り知れないものである以上、私たちは個人としてそのリスクに備えなければなりません」(同)と述べる。その方針も正しい。問題は、具體的な處方箋が間違つてゐることである。

橘は「財政破綻に備える金融商品」として三つを舉げる。國債ベアファンド外貨預金、物價連動國債ファンドである。しかしこのいづれも、資産防衞の手段としては問題をはらむ。

まづ外貨預金についてである。外貨そのものは、紙幣をやたらと刷らない健全な金融政策を行なふ國の通貨なら、日本圓の價値が失はれる場合の備へとして、保有しておいてよいだらう。ところが橘が第一に勸める通貨は、よりによつて、米ドルである(106頁)。爲替コストの安さが理由といふが、米國といへば、日本以上に紙幣を刷りまくり、財政危機が叫ばれる國家である。もし米國が日本より早く財政破綻に近づけば、米ドルは對圓で下落し、ドル預金は元本割れするだらう。そもそも米ドルにかぎらず、外貨預金は銀行の信用リスクや、後述する課税などのリスクがつきまとふ。危機の備へとして外貨を持つなら、現金で手元に置くべきである。

次に國債ベアファンドは、國債價格が下落(國債利囘りが上昇)すると利益を生むやうに商品設計された投資信託である。これも資産防衞の手段としては心もとない。商品の仕組み上、「超低金利が長期に継続する場合は、10年で投資資金は半分から3分の1になってしま」(131頁)ふのは保險の代償として目をつぶるにしても、「ファンド設定以来、国債価格が大きく下落(金利が高騰)したことがいちどもない」(154頁)ため、財政破綻時に得られるはずの大きな利益は「あくまで計算上のもので、実際にそうなるかどうかは誰にもわかりません」(同)といふのは困る。

三番目の物價連動國債ファンドは、消費者物價指數の上下に應じて元本が増減する物價連動國債を組み込んだ投資信託で、インフレ(物價上昇)による生活コストの上昇に保險をかけることができると橘は言ふ。しかし現在政府が算出する消費者物價指數は、天候に左右されて變動が大きいといふ奇妙な理由で、市民の日常生活に缺かせない生鮮食品が除かれてゐる。これでは生活コストの上昇を十分にカバーできない。しかも實際に大幅なインフレが起これば、元本償還の負擔を減らすため、「變動が大きい」他の品目(たとへば生鮮食品以外の食料やエネルギー)がさらに指數から外される恐れもある。

なほ橘は、現在新規發行が停止されてゐる物價連動國債について「早期の発行再開を望みたい」(112頁)と書いてゐるが、大量の國債發行が招く國家破産から資産を守る手段として、さらなる國債發行を要望するとは、自分で自分の首を絞める行爲だらう。

しかも以上の金融商品に共通するのは、政府の課税や強權にきはめてもろいことである。橘自身認めるやうに、金融所得への課税が強化されれば想定してゐたヘッジ(保險)は效かなくなるし、「物価連動国債でインフレリスクをヘッジしていても、国債自体の元金の償還が反故にされてしまえばなんの意味もありません。国債ベアファンド外貨預金から大きな利益を得ていたとしても、預金封鎖があれば資産はすべて没収されてしまいます」(118頁)。當然だらう。國債は國家自身が設計・發行するものだし、銀行は規制や天下りで實質政府の支配下にある。

にもかかはらず橘は、いよいよ國家破産が現實のものになつたら、今度は株の暴落で儲けよと勸める。具體的には株の信用取引による空賣り、日本株ベアファンド(ベアETF=上場投資信託)の贖入、株價指數先物の賣り、株價指數オプションのプット(賣る權利)の買ひである。國家破産のほか、大地震、テロ攻撃、戰爭や内亂が起こり、會社が倒産し、住む場所を失ひ、海外に脱出しなければならないやうな極限状況で、貯金が500萬圓あり、そのうち100萬圓を自由に使へるとしたら、それで「一世一代の大博打を張るのです」(204頁)。

死ぬか生きるかの非常時に、貴重な貯への一部を「大博打」に投じるといふ無謀な行爲を煽るとは無責任きはまるが、それ以前に問題なのは、株やETF、株價指數先物、同オプションなどが上場する證劵取引所や株券・現金を預かる證券會社もまた政府の強い影響下にある事實に、橘が無頓着なことだ。經濟危機を利用して暴利をむさぼる投機筋はけしからんとして、取引が規制されたり、利益を差し押さへられたりする恐れは十分ある。そもそもそんな極限状況で、決濟がうまくできるかどうかも怪しいものだ。

國家公認の金融商品をいそいそと贖入したり、國家公認の賭場でひと儲けをもくろんだりするのは、國家を利用してゐるやうに見えて、結局のところ國家頼みである。平時利用するのはやむをえなくても、國家破産の瀬戸際でそんなことをやるのは、大切な肉を背負つて、飢ゑた虎の前に出向くやうなものだ。資産防衞の賢い手段とはいへない。正しい手段は、橘が否定したものの中にある。長くなるので續きは次週。

(「『小さな政府』を語ろう」「Libertarian Forum Japan」に轉載)

筆者の本

デフレの神話――リバタリアンの書評集 2010-12〈経済編〉 (自由叢書)

デフレの神話――リバタリアンの書評集 2010-12〈経済編〉 (自由叢書)