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自由主義者かく語りき

電子書籍自由主義者かく語りき――リバタリアンのエッセイ集』より、「はじめに」を転載〕

現代文明というものは、洋の東西を問わず、知識人の間ではなはだ評判が悪い。現代文明の「物質主義」「能率主義」「享楽主義」「科学万能主義」などを口を極めて罵る知識人は枚挙に暇がない。
自由主義者かく語りき――リバタリアンのエッセイ集 (自由叢書)
最近日本の出版界でブームになっているドイツの哲学者、フリードリヒ・ニーチェはその先駆であり代表でもある。ブームの火つけ役になった本は、なんだかニーチェの狷介なイメージからほど遠い、人を励まし勇気づけるような言葉を集めたものらしい。知識人は、思想の本質を知りもしないで有名哲学者をありがたがる大衆を笑うかもしれない。しかし原始人の野蛮な衝動を軽率にも賞賛したニーチェ本人や、その尻馬に乗って現代文明を罵倒する知識人の罪深さに比べれば、大衆の愚かさなど取るに足らない。

経済学者ルートヴィヒ・フォン・ミーゼスは、自由主義者リバタリアン)の立場から、ニーチェやその追随者たちを次のように批判している(村田稔雄訳『ヒューマン・アクション』春秋社、192頁以下)。彼らはこう主張する。かつて人間は自然本能に駆られて戦い、殺し、破壊する猛獣であった。ところが文明は、人間をその動物的起源から遠ざける不自然な人道主義によって、本能と欲望を抑えようとした。人間が自己の動物性を恥じ、退廃的な弱虫になったのは、文明のせいである。人間は弱虫の恨みが形づくる奴隷の倫理を捨て、強者の倫理を取り戻さなければならない、と。しかしこの主張は誤りである。なぜなら、文明は人間を弱くしたどころか、生存競争で生き残るチャンスを増やしたからである。

文明は、人間が他の生物との生存競争で自己を守れるようにしただけでなく、生存手段を増大させ、普通の人々の身長を伸ばし、機敏にし、多才にし、平均寿命を延ばし、地球を支配させた。先史時代の粗野な穴居人が夢想もしなかった水準まで、生活水準を引き上げた。ニーチェやその追随者のように、肉体の強さや闘争心など原始人に役立つ特長のみを、人間性にとって自然かつ妥当であると称し、文明人が切実に必要としている才能や技能を、退廃や生物学的劣化として非難することは、恣意的であり、進化論の原理にも反する。「先史的祖先の身体的・知的特徴へ逆戻りするよう人間に勧めることは、直立歩行を放棄し、再び尾を生やすように求めるのと同様に、合理的でない」

そしてミーゼスはニーチェに痛烈な一撃を加える。「ニーチェ精神障害を起こす前でさえ、病気がちであったので、彼に耐えられる唯一の気候は、〔スイスの〕エンガディン渓谷やイタリア一部の地方における気候だけであった。文明社会が、人生の荒波から、彼の繊細な神経を守ってやらなかったならば、著作を書き上げることはできなかったであろう」

ニーチェのすべてを否定するつもりはない。しかしニーチェやその追随者による強者崇拝と現代文明批判に、ミーゼスが鋭く指摘したような矛盾があることは、もっと知られるべきだろう。ナチスゲルマン民族至上主義に利用されたといわれるニーチェの強者崇拝を、いまでもそのまま支持する人は少ないかもしれないが、「現代文明が人間をダメにする」という主張そのものは根強い人気を保っているからだ。

なるほど、現代文明は「物質主義」「能率主義」「享楽主義」「科学万能主義」などの風潮を助長する側面があるかもしれず、それらは一部の人々にとって我慢ならないものかもしれない。しかしもしそうなら、それらの風潮から距離を置く生き方を自分が選べばよい。現代文明を可能にした自由な社会では、その選択が妨げられることはないのだから。ところが現代文明を批判する人々はしばしば、気に食わない風潮を抑え込むために、政治の力で自由を規制しようとする。これは自分たちの価値観を他人に強制し、文明の恩恵を奪う暴挙でしかない。

電子書籍シリーズ「自由叢書」の三冊目となる本書は、既刊二冊と同じく、現代文明の恩恵なくして作成しえなかった。既刊二冊には個人ブログ「ラディカルな經濟學」で公開した記事から書評を集めたのに対し、本書には書評以外のエッセイ類を収めた。通常のエッセイに加え、自由主義の古典から名言を紹介する記事や、リバタリアニズムに対して一般の人がよく抱く疑問に答えるQ&Aを収録。そのほか著者がリバタリアニズムを信奉するに至った経緯を綴った文章や、それ以前に書いた思い入れのある記事「呉智英氏の思い出」なども入れた。第一章には、月刊時評紙「時事評論石川」に寄稿した、ブログでは未公開のエッセイ二本も収録した。

本書のタイトル『自由主義者かく語りき』は、評論家・呉智英さんの単行本第一作『封建主義者かく語りき』(現在は双葉文庫)から拝借したものである。じつは呉さんの本の題名それ自体、ニーチェの代表作『ツァラトゥストラかく語りき』のもじりだが、私は、上記のごとく思想にいささか問題のあるニーチェからではなく、あくまで長年愛読する呉さんの本から(勝手に)お借りしたつもりであることを強調しておく。

呉さんは昨年上梓した『真実の「名古屋論」』(人間社)のまえがきで、同書は「なんとなく通用している俗論を徹底的に批判することが極上の知的エンターテインメントであることを読者に知らしめる本」だと高らかに宣言している。私も呉さんのように、そしてミーゼスのように、「なんとなく通用している俗論を徹底的に批判」し、それが「極上の知的エンターテインメント」となるような、そんな書き手になりたい。本書を含め今年出版した電子書籍三冊は、その目標に向けたささやかな一歩である。

なお、ブログは歴史的かなづかい、正漢字で書いているが、電子書籍化にあたり表記を改めた。引用元などへのリンクは割愛したので、関心がある方はブログを参照してほしい。

Amazon.comなど海外サイトでの題名は Thus Spoke A Libertarian: Libertarian Essays で、著者名はTakashi Kimura。Amazon.comでのURLは http://www.amazon.com/Thus-Spoke-Libertarian-Japanese-ebook/dp/B00DHJ3YG8/ です)

筆者の本

デフレの神話――リバタリアンの書評集 2010-12〈経済編〉 (自由叢書)

デフレの神話――リバタリアンの書評集 2010-12〈経済編〉 (自由叢書)